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地方財政の機能変化とその要因

このコラムでは、自治体の財政診断をするにあたって、一応踏まえておくべき史的な背景を整理している。このようなバックグラウンド理解と分析は、全国共通のもだが、それぞれのの自治体についても、このような歴史的な整理が必要だ。(実際にはなかなか実行されていない。)


高まった国内総生産(GDP)と地方財政の比率  地方財政の歳出規模拡大の要因  都市化の深化と拡大  人口構造の変動  三大都市圏への人口移動  高度経済成長の後始末の福祉国家への途  景気対策の担い手として

高まった国内総生産(GDP)と地方財政の比率
 わが国の地方財政の国民経済に占めるウェイトは、国内総生産に対する地方歳出の純計額の比率で見ると、1960年代はほぼ12%台で推移していた。1970年代に入るとこれが14%台に上昇し、1978年には18.2%にまで到達する。その後は15年間ほど、つまり1992年まで17%から18%台を維持していたのであるが、1993年のバブル経済の崩壊後は19%を超える水準となっている。1997年度で19.1%である。

 つまり、地方財政の歳出を国内総生産との対比で見ると、統計が整備された1960年代以降のこの約40年間に三つの段階を経てきたことがわかる、第一には、1960年代で12%台、その後は17〜18%台にウェイトを高め、1990年代初めからは19%台に、という3段階である。われわれはまず、わが国の地方財政のウェイトがこのように階段状に上昇してきたことを指摘しておきたい。この上昇傾向は、財政構造改革法を凍結した98年度と99年度決算においては、20%台に上昇するというかたちでさらに進んでいることが予測される。(『地方財政要覧』平成10年12月、3頁の「国の財政と地方財政との歳出規模の比較(国内総生産に対する比較)」を参照のこと)。

 この間に地方財政の純計額(地方歳出の総額から国への負担金、すなわち主に国直轄事業に対する地方負担金を控除した額)は、1965年を100として、1997年度には23.61倍となった。同じ時期に、国内総生産の伸びは14.63倍に過ぎないのである。

 なお同じ資料からこの間に国の歳出の純計額の伸びが、26.10倍と地方の純計額の伸びを上回って伸びていることがわかる。この場合の国の歳出の総額とは、一般会計、交付税および譲与税配布金、国有林野(治山勘定)、国営土地改良、港湾整備、道路整備、空港整備、治水、石油および石油代替エネルギー対策、厚生保険(児童手当勘定)、電源開発促進対策(電源立地勘定)、の純計額である。また国の歳出の純計額は、この総額から、地方交付税、地方譲与税、国庫支出金の合算額を控除した額である。

 ただ、国の歳出の純計額と地方財政の歳出の純計額の比率の変化を見ると、第一に、1975年度までは、地方の歳出規模が200%を超えるのが常態であったことがわかる。ところが1976年度以降は、160%台が常態といえる水準で推移しているように国の歳出規模の伸びが地方の伸びを上回り、この比率は1988年の156%にまで下がる。平たく言えば地方歳出は国の2倍から1.5倍に、10年間で50%近く国と地方の歳出規模の差が縮小することとなったといえる。それだけ国の純計歳出が大きくなったのである。これは恐らく国税収入の自然増収や特別会計の膨張に起因すると考えられるが、この詳細は別の機会に検討したい。

 ところが、地方財政の歳出規模の国のそれに対する比率は、1989年度以降に再度上昇に転じる。1993年、1994年には190%台となり、1997年度には184%という水準となっている。つまり1990年代は国の財政との対比でも、地方財政のウエイト増大の新しい段階にあるということができるのである。

地方財政の歳出規模拡大の要因
 なぜこのような歳出規模の拡大傾向が生じてきたのであろうか。それぞれの時期において考えられる原因は異なるだろうが、ここではごく一般的にその要因について検討しておきたい。地方財政の分担する機能は、道路や都市計画事業などの公共事業費(国土保全と国土開発)、保育や高齢者福祉などの民生費、小中学校・高等学校の設置と運営にかかる学校教育費、清掃や保健所などの衛生費、警察・消防にかかる経費など生活に密着した行政サービスを担うところにある。

 一般に財政の機能としては、(1)資源配分機能、(2)所得再配分機能、(3)経済安定化、という三つの機能があるとされている。地方財政が主として担うのは、上記のような、地域に密着した生活支援サービスを担うことによって、これらの財政の機能のうちの第一の資源配分の機能を果たすことが期待されている。第二の所得再配分機能は主として所得税など国の租税と、年金や医療保険などの社会保障給付が担う。もちろん地方税においてもかなりの所得再配分機能を持ち、また社会福祉サービスでの所得制限や減免措置によっても、所得再配分機能を地域レベルで補完している。また、景気対策として実施される第三の経済安定化の機能は、地方単独事業や信用保証協会などの地域金融施策として、地方財政も重要な役割を担っている。

 とはいいながら地方財政の持つ生活密着型、ないし地域密着型の財政資金の投入による資源配分機能が強いという性格は変わらない。したがって、人々の生活のありかたの変化に、中央財政より強く規定される。そこから地方財政の拡大とその内容の変化を規定する条件として次のようなことが考えられる。

都市化の深化と拡大
 都市化を市部に居住する人口で測るとすると、既に人口の8割が市部に居住している。すなわち、1998年度末で指定都市の居住人口(夜間人口)が全人口の15.08%、特別区に6.26%、その他の市に56.76%、が居住している。これは合計で78.1%となる。これは1940年のほぼ40%との倍の比率である。

 都市化が地方財政に与える影響は、第一には、農村的な地域共同体を維持していた共同体的な、基本的には無償の共同労働の解体の結果、その共同労働による地域社会の維持機能を地方自治体である自治体が担うところに始まる。それは村落共同体の構成員であるムラビトによる共同労働の解体の影響である。

 典型的には水田や畑作地帯での水路の管理があげられる。現在でも農業用水路は水利組合という組織がになっている場合が多い。その場合、春になって灌漑用水を確保するための用水路の浚渫と清掃、夏の用水路沿いの草刈やつるきりといった維持管理、秋の出水に備えての水門の管理や堤の補修などは、各組合家族の労働奉仕によってきたものである。これは、一種の租税(労働地代)である。昭和38年の地方自治法の改正まで存続した「賦役現品の徴収」という規定は、このような無償の共同体労働の残存とその解体過程を示している。

 現在の水利組合による水路の管理は、農村部では外形的には維持されているが、兼業が普遍化する中で管理の業者委託が進んでいるようだ。特に都市部での用水路で、都市下水路化したところでは、全面的に都市の土木部の仕事となり、租税を投入することとなっている。つまり共同体の賦役労働が、租税による行政サービスに転換しているのである。

 また道路の維持管理や時には新設も、同様に共同体の共同労働から、地方自治体の土木行政に転換してきたものである。このような地域の共同的な生産と流通のための施設の創設と維持管理が、大規模に共同体の無償労働(賦役という労働地代としての租税)から、地方自治体という行政組織が代行する、租税による行政サービスに転換してきたのである。

 都市化とはこのような行政サービスの拡大に、すなわち地域の共同労働の行政組織への集中と管理の拡大に、ほかならなかったと言える。

人口構造の変動

その一 ベビーブームとその影響
 わが国(他のアメリカ合衆国などでも)における地方財政へのインパクトが大きかった要因のひとつは、1947年から1950年ごろまでの出生数の激増である。この団塊の世代は、まず、小学校の不足として各市町村を襲った。1950年代前半である。校舎不足のため、どこでも複式学級や青空学級が当たり前となった。教員も足りず、「でも、しか」先生が急増した。続いて新制中学校を建てる財政的余裕をもたない市町村が激増して、1955年以後の地方財政危機と市町村合併の基盤をつくった。高校も不足した。大学も学生で教室があふれた。幼稚園も保育園も足りなかった。

 そして、彼らが成人になったとき、第二次ベビーブームが、今度は三大都市圏を中心に生じたのである。これは1980年代から、第一次よりはるかにゆるやかだが、より長期にわたって地方財政に対する負担を拡大することとなった。この場合も特に教育と保育に重い負担がかかったのである。

その二 三大都市圏への人口移動
 もうひとつの人口構造の変動は、地域的な人口配置の大変動によるものである。1955年ごろから、特に1960年代の高度経済成長が、太平洋ベルト地帯への開発投資の集中をともなって行われたために、東京圏、大阪圏、名古屋圏の三大都市圏に若年層人口の大移動が発生したのである。大都市圏では、多摩や千里のニュータウンなど団地の郊外地へのスプロールが行われ、大都市部の自然が大規模に開発された。ここでは、教育施設の増設圧力、鉄道網や道路網の整備、電気や水の供給確保、などの課題が次から次に発生し、応対にいとまがない状態の中で、人口急増対策という形も含めた地方財政需要は急増する。

 一方で、東北地方や中国地方、北海道、九州では若年人口の急激な流出による過疎化が深刻化する。その中で、公共土木事業への依存構造が、山村でも漁村でも進化する。

高度成長の後始末と福祉国家への道
 1960年代も末になると、高度経済成長のつけが回ってくる。ひとつは産業公害の激化である。また、都市部でも、過疎山村でも、経済成長に取り残された高齢者や、低所得者の福祉ニーズに政府として対応せざるをえなくなる。既に、1961年に国民皆保険、国民皆年金体制が準備されたが、その制度の担い手のひとつとして、地方自治体が組み込まれていく。医療過疎地での公立病院や診療所の設置と運営が地方自治体の肩にかかってくる。

 高齢者医療費の公費負担制度は、1965年ごろ岩手県沢内村から始まり、1970年代に東京都から全国に波及することになる。

景気対策の担い手として
 わが国経済は、いくつもの景気の波を潜り抜けて成長をしてきた。この過程で、特に第一次オイル・ショックを契機にして、景気対策への地方財政の動員システムが拡大することとなった。このことはいわゆる土建国家への道を、地方財政も積極的に担うことを意味したのである。このように地方財政が景気対策の一方の主役となる過程は、同時に地方交付税の変質過程でもあった。地方交付税の変質を促した要因は、地方債の元利償還金の地方交付税の基準財政需要額への算入、事業費補正制度の拡充などがそれである。一方で1986年以降、国の財政危機対策として実施された国庫補助負担金の削減が、地方債と交付税を組み合わせ、単独事業を推進するという大儀のもと、この地方財政の景気対策動員システムを、1990年代に引き継ぐ。これが地方財政の規模を拡大する要因のひとつとなったのである。

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