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市民社会をつくったコーヒーハウス年表 |
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(臼井隆一郎『コーヒーが廻り 世界史が廻る』中公新書1992年、j.ハバーマス『公共性の構造転換』未来社1973年、などから) 近代の西欧資本主義社会が絶対王政の中から立ち上がり、その政治的表現としての市民社会を形づくるのが17世紀から18世紀。それが市民革命、ブルジョア革命の基盤を作る。 この市民的公共性は、だが市民革命の後に、特に20世紀の10年代以降(第一次世界大戦以後)、構造転換する。 行政官僚制の成立と発達(行政国家)、および、マスメディアによる情報独占と操作の中で、再び市民は砂のように「大衆社会」に溶解し、「群衆の中の孤独」という世界に放置される。 そしてまた、21世紀の現在、市民的公共性の再構築が求められている。 官に横領されてきた公共性を、市民的公共性として、主権者のそれとして再形成することが求められている。
それは、支配されることになじめない人々の自然な欲求である。
それは、NPOやNGOのような市民組織の叢生という通路をとおって形になってきている。 再度形成されるべき市民的公共性は市民社会を形成する中で、当局者の公共性とは区別されながら同時に、自らを一つの秩序として定立する。
もっともわが国の場合、ヨーロッパ的な市民社会自体が構築されてこなかった(当然のことではある)。
ここにいう「市民社会」とは、ひとつの政治的抽象的概念だが、同時にひどく具体的な人の営みである。 新しい市民社会を作るということは、公衆の溜まり場を、具体的な場所を、人の輪、討論の輪をつくることだ。 つまりネットワークをつくることだし、ニュースペーパーを編集し配布することだ。近代の市民社会は、コーヒーハウスから生まれたのだ。 「17世紀中ごろからはじめて広まった紅茶だけではなくチョコレートとコーヒーが、 少なくも住民のうち有産階級の日常飲料となったあとで、さるレヴァント商人が 最初のカフェ・ハウスを開いた。18世紀の最初の10年のうちに、ロンドンには そのような店が既に3000件を数え、それぞれが内輪の定客 を持っていた。」(ハバーマス『構造転換』52頁)。
「公衆が公権力に向かって物申す場としてのコーヒーハウスは必然的に私設国会の様相を帯びることになる。」(臼井前掲66頁)
「ドライデンがウィル軒に陣取って若い世代の文筆家サークルで「古代人と 近代人」について論争し、アディスンとスチールがやや遅れてバトン軒で 彼らの小元老院を開いたように、既にロータクラブではミルトンの庇護者 の司会でアーベルとペピーズがハリントンと会合し、多分ここでハリントンが 彼の「オセアナ」を披露していたのである。(『構造転換』52頁)
「夕食会(ドイツ)、サロン(フランス)、喫茶店(イギリス)とでは、その会衆 の範囲や構成において、交際の様式において、議論の雰囲気において、 主題的関心において、きわめて異なっていたが、とにかくそれらはすべて、 傾向上は私人たちの間の持続的討論を組織化するものである。」 (『構造転換』56頁)
「喫茶店は指導的サークルへ気安く機会を与えただけではなく、なかんづく 中産階級の広範な層を、手工業者と小売商人をも引き寄せたのである。」 (『構造転換』53頁)。
「そうはいっても、喫茶店やサロンやクラブで、この公衆の理念(「単に 人間的なもの」の対等性)が本当に実現されたというわけではないが、 ともかくもこれらよってそれが理念として制度化され、したがって客観的 建前として掲げられ、その限りで、実現されなくても 尊重されるようになったのである。」(『構造転換』56頁)。
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