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社会編成の原理としてのノーマライゼイション

(初出:自治日報01年5月18日号)

 また5月を迎えた。京都の東山の峰々に、椎の花が盛り上がり、樫や楠の若葉が翻る。初夏の風は爽やかだ。だがこの時期は同時に、8月の暑さと戦争への思いを反芻する季節がめぐってくることでもある。教科書問題や靖国参拝、戦没者の慰霊、被爆体験、空襲と引き揚げ、など。

 今またいろいろな角度から前の世界大戦の評価や戦争責任が論じられている。しかしこれらの戦争評価や責任の論議は、再びあのような惨禍をもたらすことのない世界をつくることに、結び付けられてのものであってほしい。しかしどのように戦争責任を明らかにし、その反省にたって新しい社会の原理をどのように構想し、実践するか。難問である。

 ノーマライゼイションという原理がある。これはわが国の福祉改革の中心的な原理のひとつだ。それは社会システム全体を変えていく強い起動力をはらんだ理念であるとともに、具体的な政策基準でもあり、実践的な行動規範でもある。この原理はどのような障害をもつ人にも、健常者と同じ生活を保障し、ノーマルな生活ができるような社会の実現をめざす。一日の普通のリズム、一ヶ月の心楽しいリズム、一生の年齢ごとの教育、就職、結婚、子育てといったノーマルな生活の保障。

 このノーマライゼイションという新しい社会システムの構成原理は、第二次世界大戦の根本的な反省から生まれた。具体的にはデンマークのバンク・ミッケルセンが、1959年に知的障害児者の親たちと作った障害者福祉法によってひとつの形となったものだ。バンク・ミッケルセンは、ナチス占領下で抵抗運動に参加し、大戦末期には投獄されるが、戦後、政府に職を得て福祉行政に携わる。

一方で1952年ごろから知的障害児の親を中心にした福祉改革の動きが始まる。それは、その当時の知的障害児者が基本的には大規模施設に収容され、人権が著しく制限された状態に置かれていた状況を変え、家と地域での生活を保障しようとするものであった。この流れが、デンマークで大きな流れとなり、バンク・ミッケルセンらの手で法制度化されたのは、ナチス支配に対する抵抗運動の歴史があったからである。つまり、当時の知的障害児者の置かれた状況は、ナチスの強制収容所と変わらないではないか。このような政策を容認することは、連合国の人々の中にもなお根強いナチス的思想に共通する差別と隔離の思想を容認することに他ならない。このような政策を基本的に転換することが、戦争の惨禍をもたらしたナチス的な差別と隔離、人種撲滅といった思想を自らの問題として内在的に克服することにつながると受け止められたからであったと思われる。

 この原理は、その後1960年代後半からスェ―デン、アメリカ(特に1960年代の公民権運動を契機として)に展開してより豊かなものとなり、わが国でも1980年代に入って徐々に受容されるようになる。

 わが国の場合、これらの原理を社会的に定着させうる根拠はどこにあるだろうか。その基礎は、わが国の場合、歴史的に近いところでは、1960年代後半から1970年代のベトナム反戦運動や学園闘争、そして部落解放運動や障害者の解放運動、リブなどの社会運動にその基礎の一部が置かれているのではないか。そして特に1946年に制定された日本国憲法(特に第13条の幸福追求権と人としての平等)、および1947年の国連による世界人権宣言に基礎がおかれていると考えるべきなのであろう。これらは、共に20世紀におけるたび重なる戦争の惨禍に対する歴史的反省を、法的形態として表現したものだからである。それは侵略と抑圧の歴史を繰り返させないための文書でもある。

 これらの国際基準とも言うべき法規範を、その歴史的重みと共に十分に市民的なものとしてこなれたものにすること、ノーマライゼイションの原理が生きる自治的な共生社会をつくることも、われわれ現役世代としての、全ての子どもたちに対する戦争責任のとり方のひとつではなかろうか。はつなつの風に吹かれながらこんなことを考えた。

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