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地域の可能性を探る
     自治会町内会のアソシエーション化

                                 『現代の理論』2017年冬号
                                           澤井 勝
                       

コミュニティとアソシエーション

 地域社会を考えるとき、アメリカの社会学者、マッキーバーの言うところを参考にすると、自然的な契機(地縁や血縁、風習、伝統など共同の関心)でつながる社会をコミュニティとし、NPOや協同組合などの問題解決のため自由に集まった社会集団としてのアソシエーションとに分類されるようだ。すなわちコミュニティとしての自治会町内会とアソシエーションとしての国家やNPO,NGO、協同組合とが対比される。したがって、「社会の変化」を導く「可能性を」より強くはらんでいるのは、アソシエーションであり、コミュニティはその安定性にその特質があるとも言われる。とはいえ、地域社会とは、コミュニティを基礎としながら、コミュニティの中や外部に発生する問題を自律的に解決するために、問題解決型の実行委員会的集まり(アソシエーション)をつくることが求められることが多い(2017年6月、春風社発行、似田貝嘉門等編著『コミュニティ辞典』8~9頁、新雅史)。

そこには多様なニュアンスがある。だからこそ、1970年代に法政大学の松下圭一教授(政治学)や東大法学部の西尾勝教授(行政学)などが、地方自治を研究する者は、まず町内会やPTAの役員を積極的に引きうけないと本物にならない、と述べて武蔵野市などで実践されたのであった。筆者も可能な範囲でその例にならってきたつもりである。

 

東京都府中市の団地 1980年ごろ

最初に、筆者が意識的に自治会に関わったのは、日本住宅公団(当時、現在は都市再生機構)の分譲団地であった。中層の5階、16棟、2DKを標準とする650戸。その5階に入居した。入居者は、当時30〜40代の団塊の世代を中心としたサラリーマンと、多摩川の河川敷に建つ団地の河岸段丘の上の旧住民から分家してきた人々のようだった。建物の管理は住民による自主管理組合で概ね各棟から1名程度の役員が、建物の補修や長期修繕、鉄部塗装の計画と実施管理、植栽の管理、駐車場の管理などを行う、役員は立候補制で管理組合総会で承認される。

これとは別に、各棟(20戸から40戸)から1名の自治会役員を選ぶ。わが棟の場合はくじ引きで決まった。このように選ばれた16棟の最初の役員会で、会長をどうするかの相談のときに「やりましょうか」と手を挙げたわけである。自治会の役割は住民の交流、親ぼく、子育て支援などで、棟対抗バレーボール大会、同じくテニス大会、夏の団地盆踊りへのやきそば出店、春の芋の植え付け、秋の芋ほり、秋の八幡祭り、9月1日の防災訓練、1月15日のドント焼きとその準備。それに団地内と周辺道路の交通信号と横断歩道増設の警察への陳情。防災訓練の消防署での打ち合わせなどが入ってくる。これらを月1回程度の夜の役員会で決め、主に土日を使ってこなしていく。

 

団地自治会は横のつながりの面が強い

役員16人のうち男性は5人だけだった。主力は女性だ。しかし「自治会だより」などの役員名は男性名が圧倒的に多い。自治会町内会は世帯単位で会員となっているので、世帯の代表ということで男性名が多いが、役員会の出席と活動は主婦となる場合が多い。

その当時の団地自治会役員は1年交代だった。みな素人ばかりなので、それまでやってきたことを踏襲することが精いっぱいといった状況だった。他の自治会では、一定の役員が役職を独占し、市からの公園管理の委託金を良いように使っているといった話が伝わってきたこともある。地縁組織の排他性が浮き出る話だ。ただ1年交代の役員にはやれることに限界がある。一部を2年任期として、連続性と経験の蓄積、地域事情の把握をより広くしていくなどの工夫も必要だったのかもしれない。

この新興の住宅団地の特色の一つは、多摩川河岸段丘の上にある旧住民地域との関りである。塞ノ神祭りと言われる旧正月の115日のどんと焼きはそのひとつ。現在も府中市内の押立文化センターと四谷文化センターで行われている。地域の青年団が中心となり、農家の屋敷から切り出した青竹で組み上げた塞ノ神という高さ15mの小屋のまわりに、各家が出す注連縄や門松を取り付けて火をつけて送る祭りである。当時は団地のはずれの耕作していない畑をつかわせてもらっていた。左義長や道祖神祭りともいう。団地の自治会も役員中心に手伝う。隣の稲城市ではなお7か所でおこわなれている。一時すたれたものが復活してきているという。

秋の八幡様(車返八幡神社=村社)の祭りでは、団地住民に氏子がいることもあって、神輿と大太鼓、山車が団地内を巡行し、担ぎ手も出る。団地の集会所前の広場は、巡行の立ち寄り場となり、休息していく。子どもたちが山車の引手になる。これは旧地域の祭りへの「結い」である。「結い」とは、「共同体の中で集中的な人手を必要とするときに、同じ人数の労働力を同じに日数だけ、お互いに提供しあう相互援助システムである。」(金子郁容『コミュニティ・ソリューション』岩波書店、203頁)。沖縄のユイマールに残る「ユイ」で、友達、友愛を意味する。塞ノ神への参加も「結い」である。

ここに見られる自治会の機能は、行政の下請け機関としての自治会町内会という側面が薄く、住民の横のつながり(団地内の、そして周辺地域との)をつむぐ側面がより強いともいえる。先に見た『コミュニティ辞典』の記述を援用すれば、「町内会を含む地縁的な集団は、状況に応じて,タテに系列化された支配の側面と地域の課題に共同で取り組む自治と協働の側面を持つ。町内会は日常的には行政の下請け機関にしか見えなくても、たとえば住民の生活が脅かされる事態、災害や深刻な環境問題など、が生じるときには、共同で課題に折り組む足場になりうるだろう。そのためには、町内会が開放性と自律性をもつこと、そこに集う住民が、依存とお任せの意識を乗り越えて自治の意識をもつこと求められる。また同時に、町内会以外の自発的な諸団体などが、多様に存在していることも必要となろう。こうした条件が満たされるとき、町内会は多元的社会の基礎を支える中間集団のひとつとして、期待される役割を果たす可能性を持つ。」(同書、193頁、松井克浩)。

このような、市民同士の横に広がるつながりを形成しようとする動きは、後にふれる「新しい地域自治組織」の創設の動きに連動しているとも言える。

 

北九州市の賃貸マンションの住民自治会

 1993年に北九州大学の教員となり、北九州市小倉南区の7階建ての賃貸マンションに転居した。ただこのマンションでは、賃貸契約の時に、住民自治会への参加を条件としていたのは特色がある。自治会の役員は、階ごとに一人が当番で引き受ける。1階ごとに10戸あり、1階から7階までの役員数は計7人。自治会の会議室はなく、会長の家に集まる。住民は全国からの転勤族で、広島や東京、大阪、鹿児島などからの転居組が大部分だったが、自治会町内会の作法についてはほぼ共有されていたので、活動には問題はなかった。自治会町内会が日本全国、津々裏々に遍在していることがわかる。

 賃貸マンションでの自治会の主な仕事は、行政などからの配布物の配布と回覧であり、ごみ集積所の清掃と管理が主なものだったと記憶している。ただ校区の連合自治会には加入していたので、月一回程度の校区連合自治会の役員会には顔を出していたから、当時の北九州市のまちづくり政策の一端を見ることができた。

 

北九州市のまちづくり施策は「市民福祉センター」から

 北九州市では、1993年に「北九州市高齢化社会対策総合計画」を策定し、「福祉の三層構造」をつくることが目指された。地域福祉の拠点施設として「市民福祉センター」を153の小学校区ごとに整備することが1994年から始まっていた。これに7つある行政区(小倉北区、小倉南区、門司区、戸畑区、八幡東区、八幡西区、若松区)ごとに「保健福祉センター」(保健所と福祉事務所を統合したもの)、全市レベルには「総合福祉センター」をつくることになっていた。

 「市民福祉センター」は「公民館」を社会教育(教育委員会の系列にあった)の施設としてではなく、地域福祉(社会福祉協議会が主な担い手)と健康づくり(保健師)、子育て支援(保育、小中学校)の施設に変えるものであった。たとえば、公民館の料理教室用の厨房は、「高齢社会をよくする北九州女性の会」(1985年発足、2017年現在も会員数700人以上で配食サービスの拠点10か所を持ち、週一回の配食をしている。代表の冨安兆子さんは現在も代表、83歳。)の行っている、高齢者世帯への配食サービスの弁当をつくる厨房に活用されていた。普通は社会教育施設を高齢者福祉に転用することはできないという壁があった時代に、公民館と市民福祉センターという「2枚看板」を掲げた地域活動の拠点施設が整備されつつあった。公民館がない校区では、空き店舗を活用したり、鉄筋コンクリ―トづくりの2階建てセンターを新設することを基本に設置が進んでいた。各市民センターの長は、市役所OBや元校長などが市から任命されている。

 2005年には、「市民福祉センター」と「公民館」を統合して「市民センター」に変更した。これは市民福祉センターだと活動が福祉に限定されやすいこと、公民館では社会教育としての制約がかかりやすく利用しにくいなどの意見もあって、「市民センター」に統合したと説明されている。

 

さらに「まちづくり協議会」の組織化

 この「市民センター」に置かれたのが「校区まちづくり協議会」である。市民福祉センターが校区ごとのハードな拠点整備だとするなら、「校区まちづくり協議会」はソフトなたまり場やネットワークの整備だといえる。この「まちづくり協議会」も1994年度から組織化が始められた。「まちづくり協議会」は、「小学校区単位を基本に、自治会、社会福祉協議会、婦人会、老人クラブ等の諸団体や学校、PTA、企業、行政機関などの地域の諸団体で構成する地域づくり団体」とされている(北九州市「みんなが主役の地域づくり・まちづくりのために」2008年、から)。「まちづくり協議会」は、「市民福祉センター」、現在の「市民センター」の管理を市から委託を受けている。そのためセンター職員は昼と夜で4人程度となっている。まちづくり協議会の職員もセンター職員の兼務となっている。

2005年度に「まちづくり協議会」と「市民福祉センター」の活動状況について見直しを行い、次の3点を2006年度から行うこととされた。

提案の1として、まちづくり協議会の組織充実。まちづくり協議会により多くの団体の参加を進める。学校やPTA、病院や福祉施設、企業や商店街連合会、交番や消防署、NPOやボランティア団体など。

提案に2として、機能的な部会制を導入する。たとえば防犯・防災部会に自治会、老人クラブ、PTA、防犯協会、少年補導員、消防団、交番などが参加し合同で論議して活動するなど。それに加えて、役員の定年制と任期制の導入。民主的な役員選出、情報の公開が求められる

提案の3として「地域総括補助金」の導入を2006年度から実施する。市の各部局が事業ごとに地域団体に交付してきた補助金を可能な限り一本化し、「地域総括補助金」として「まちづくり協議会」に交付する。これはタテ割り補助金をヨコ割り交付金化するものだ。まずどのような資金がどこから来ているのかが共有できる。その後、徐々に個別補助金の枠を他の事業に流用できるようにしてきている。当初、統合されたのは、防犯灯維持管理補助金、老人クラブ助成金、年長者憩いの家運営補助金、校区まちづくり事業費補助金、など13の補助金であった。1団体当たり200万円程度が標準だが、他の事業での助成金もあるので、それを活用しているまちづくり協議会もある。

この「地域総括補助金」の設置以降、まちづくり協議会が、加盟団体を増やし、事業内容を拡大し、それにともなう規約の改正と部会の新設、整備が進行するようになった。

 1993年からの市民福祉センターの設置と、まちづくり協議会組織化の動きは、2006年に地域補総括補助金という財源手当てと部会制の導入、そして参加メンバー拡充によって新しい段階に入り、現在は135小学校区すべてに、地域ごとに特色を持った「まちづくり協議会」ができている。市民福祉センター設置開始から、今年で24年である。

 なお、この「まちづくり協議会」は、なんらの法的根拠があるものではなく、有るとすれば地域総括補助金の交付要綱ということになろう。

 

地域自治組織の新しい動き

 このように従来の自治会町内会を中心にしながら、都市内分権の方向性をもった「住民主体の自治組織」として、行政主導だが再編成しようとする動きがかなり広がっている。島根県雲南市(地域自主組織)、三重県伊賀市(地区住民自治協議会)、名張市(地域づくり組織、市民センター)、兵庫県朝来市(地域自治協議会)などが呼び掛けた「小規模多機能自治推進ネットワークが2015年に東京で「ネットワーク会議」を設け、主に、このような住民自治組織に新しい法人格を付与するよう法改正を求めている(以上は、「地域自治組織の新しい動き」地方財政情報館http//:www.zaiseijoho.comの「分権改革、自治組織」欄を参照)。このネットワークには、2017年時点で210の自治体が参加している。主導する団体は、いずれも平成の大合併時に合併したか、それから離脱して自立を選んだという経過を共有している。また自治基本条例など条例に根拠を持った自治組織もかなりある。

 北九州市のまちづくり協議会も、都市内分権の方向と市民主体の地域活動展開を目指すところは、これら「新しい地域自治組織」と重なるところがある。それは、行政の下請け機関を住民自治組織に転換する側面をはらんでいるともいえる。

 政令指定都市では、福岡市と札幌市に「まちづくり協議会」的な、都市内分権と地域住民自治組織がある。福岡市では小学校区単位で「校区自治協議会」が2004年から設置され始め、現在はほぼ全小学校区に置かれている。札幌市では、2004年に中学校区を基準にそれまでの連絡所を「まちづくりセンター」に改編し、中学校区ごとに「まちづくり協議会」の設置を進めてきている。2016年現在は、77地区85協議会が置かれ活動している。

 

おわりに

京都市の場合、2010年と2014年に、「小さな祭りとコミュニティ(1)」と同(2)として紹介してみた(いずれも「地方財政情報館」の「まちづくり、地域活性化」の欄を参照)。地蔵盆という町内会レベルの小さな祭りに見るコミュニティという住民の自治的な横のつながりの再生産に目をとめてみたものだ。特に地蔵盆は、地域で子供たちを育てる経験と生活に直接根差しているから、行政とはほとんど無関係に維持されてきた営みである。それが、地域の祭り一般にも言えるとも思う。ただ神社の祭りは宗教との関係が微妙なところがあるのも事実である。

 それはさておき、「地域の可能性」は、町内会自治会へのかかわりを通じても、自治意識の醸成と、人の助け合いや支えあいの力をつくり再生産するところにあると考えたい。 

 冒頭に紹介したコミュニティとアソシエーションとの関係の議論に戻れば、新しい住民自治協議会を作ろうという試みは、自治会町内会という受け身で保守的なコミュニティを、地域の問題解決に目的意識的に取り組むアソシエーション的な組織に展開する試みだということもできる。特に伊賀市や長野市、名張市のように、住民自治協議会=まちづくり協議会をつくるには「まちづくり計画」を住民がワークショップなどで議論して作っていくことを求めているから、明確に目的実現、課題解決を目指すアソシエーション的集まりに近くなっている。計画作りには、まちづくりの専門的NPOや市民として参加する専門家も、ワークショップのファシリテーターなどとして積極的に協働しているからより自由な集まりという側面が強い。いわば「アソシエ―ティブ・デモクラシー」への途が垣間見えるとも言えるのである。

なお、今後の議論のため、文中で紹介した文献などに加えて、山口定『市民社会論』有斐閣の第8章「デモクラシー論のバージョンアップのために」、レスター・サラモン『米国の非営利セクター入門』ダイヤモンド社、コリン・コバヤシ『市民のアソシエーション フランスNPO法100年』太田出版、内田雄造『まちづくりとコミュニティワーク』解放出版社、などを参照されたい。

                 

 
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