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手を振って人を送る――土地の記憶

(初出:「自治日報」02年4月26日号)

 先日、鹿児島県の加世田市を、職員組合と議員有志とによる財政の勉強会に呼ばれて訪ねてきた。今年の春は、日本列島のどこでも中国大陸からの黄砂のために、霞がかかったような日が続いている。九州自動車道から普段はよく見える桜島も、もやの中だった。地球温暖化と農地開発の積年のつけが深刻化しているのだろう。

 加世田市は現在の人口は2万4千人、なおゆるやかな減少が続いている。市の職員の話では、人口の割には呑み屋とパチンコ屋が多いという。確かに夜遅く入った居酒屋もスナックもお客さんが一杯で、ご同慶の至りである。このような話は各地でよく聞く。岡山県の津山市では、医者と喫茶店が多いそうだ。それぞれに理屈がついていて、土地の特徴をめぐって話が盛りあがることになる。

 地域活性化や財政健全化の議論と、少子高齢社会への対応など意見交換を行ったが、台風銀座ではあるけれど、東洋経済新報社の調査では671都市のうち暮らしやすさで九州一、全国で23位にランクされたことがあるというのも頷けるまちだ。しかし、知名度はそれほど高くない。台風の通り道としての名前も隣の枕崎市に譲っている。大戦末期の陸軍特別攻撃隊基地(万世基地)としては、一つおいて東にある知覧町が著名である。東シナ海に面し日本三大砂丘の一つ、吹上げ浜があり、ウミガメが産卵に上陸するし、ラッキョウの名産地だということもそれほど知られていない。小泉首相の父、純也氏の出身地でもある。一言で言えば自らのイメージ、つまり自分自身についての自己イメージを、形成中という印象を受けた。

 ホームページを見ると、市長さんの随想に先程の東洋経済の調査を引いて、「日本一住みやすいまちを目指す」と書かれている。非常に重要な視点だとおもう。多くの町おこしや地域活性化の施策は、産業起こしや観光立地に傾いて、そこに住み、暮らす住民の顔が見えない場合が多い。各市町村のホームページを見ても、観光スポットの案内や、イベント情報はにぎやかだが、そこでどのような行政サービが展開され、住民の満足度はどうかということはほとんど伝わってこない。各自治体のホームページは充実してきているが、この革命的なコミュニケーション・ツールを、行政サービスや日々の暮らしの水準とその質を競わせる道具として生かしきれていない。

 そのまちの福祉サービスはどうか、保健や健康づくりの工夫はどうか。まち育てのNPOは、どんな活動をしているか。住民参加や住民参画の具体的なしかけはどうなっているか。男女共同参画社会への取り組みはだれが、どういうふうにしているか。現場の職員の顔つきはどうだろうか。包括的な地域医療システムとその将来像はどうだろうか。地域での祭りと年中行事、それに地域づくりの仕掛けはいかに。

 地域活性化は、他の人のためにあるのではなく、そこに住む人々が、快適に暮らしやすく生きることから始まるものでなければ本物には成りえない。あちこちの「まちおこし」が一過性のものになりがちなのは、この「住んでいる人が暮らしやすい」という視点がぐらついているか、あいまいなためである場合が多いのではないだろうか。それも、社会的な支援を必要とする人々(外国人も含む)が暮らしやすいまちであれば、外からの客人にとっても、過ごしやすく暖かく、もてなしの心に包まれることが期待される。そのようなまちは、なんども訪ねたい場所として人々に記憶され、大事にされるにちがいない。

 ところで帰りの空港で気がついたのだが、飛び立つ飛行機を手を振って見送る人が多いのである。孫から若夫婦、兄弟、その両親といった10人ほどの一組、7,8人の女子学生のグループなど。この空港の送迎デッキが、霧島連山を眼前にした抜群の環境にあることも、ゆったりと人を送る条件に恵まれているとも言える。他の飛行場でもあるのだろうか。ただここの風景として考えると、特攻基地からの出撃の風景と重なる。飛び立つ飛行機を、はるか雲に隠れるまで手を振り、帽子を振るという風景。それは特攻への痛切な反省と平和への祈りともにある、鹿児島という土地の記憶なのかもしれない。こういったことも、自己のイメージのひとつとして考えてみたい。人を送る作法のひとつとして。

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