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二宮金次郎、二つの肖像(11 最終回)

                     プラグマティズムと小日本主義
                    SS情報ひろば第26号(2016年1月1日)

                       


                                   いきいき市民大学学長 澤井 勝
 石橋湛山は政治家としては、昭和31年(1956年)に、岸信介をやぶって首相になるが、病を得て65日で職を辞した。戦前は『東洋経済新報』の編集主幹や社長として、「小日本主義」などの論陣を張ったことで有名だ。湛山の「小日本主義」とは、我が国は人口が多くて貧乏であるという大日本主義(海外膨張主義ないしは帝国主義)に対して、労働力の活用によって国民生活の向上をもたらし、それが平和的貿易の拡大を導くという国内市場の発展で経済的自立を求めるものだ。戦後日本の経済的発展を先行して見通したようなところがある。戦後すぐには、第一次吉田内閣で、石炭生産に投資を集中した「傾斜生産方式」を導入するなど、石橋財政を推進した。同時に進駐軍経費問題ではGHQと対立し、公職追放を受けている。
 湛山の考え方は、「愛国主義」や「大日本主義」のような理念を実現しようとするものではなく、「徹底的な功利主義」に基づいている。それは次のような軍国主義批判となっている。「此の軍国主義の為に、我が国は隣邦から疑われ、例えば支那(ママ)と産業上に於いて十分の提携が出来ない。支那は実に我が国産品の大市場で、又我が原料供給の大宝庫だ。之と手を握り得なくては、我が国の産業は駄目だ。国産奨励者は宜しく是に着目し、軍国主義打破に全力を注ぐ価値がある。」(1927年『新農業政策の提唱』)。そして、植民地からの撤退を主張しつづけている。また戦後はソ連や中華人民共和国との国交回復に尽力したとことのその表れだ。
 この湛山の小日本主義は、早稲田大学で田中王道の日本的プラグマティズム(功利主義、実利主義)の教えを受け、その結果、同時に二宮尊徳の思想をいわば引き継いでいるという。田中王道は1968年生まれの哲学者。1893年にシカゴ大学でジョン・デューイに学び日本にプラグマティズムを導入した一人だが、その著書で「二宮尊徳は最高最新の意味においてヒューマニズムの人であった。彼の説くところは多枝多葉であるが、畢竟ずるに、政治にしても、宗教にしても、学問にしても、総て其れらのものの役目は人間の生活を助長するといふ一事に帰することを忘れない」と称賛している。また、「彼の学説を通じて最も顕著なる特徴をなして居るものは、其れが飽くまでも実験的であり、功利的であり、平民的であることである。」とも述べている。
 これを受けて、湛山も尊徳の思想を受け継ぐことになる。事実、尊徳によって行われた領主の支出に限度を課す「分度」は、湛山の国内市場論に投影されているという(松並信久「石橋湛山の農業政策論と報徳思想の影響」『京都産業大学論集』2008年)。
 湛山は立正大学の学長をしていたとき、「学生諸君におくる」として、「私には愛読書というほどのものはありませんが、もし、しいて申すなら『二宮翁夜話』は、その一つだといってよいでありましょう。」と述べている。
 今まで見てきた尊徳の考え方は、これからも起業家や経営者の活動原理として、また広く生活者のわかりやすい行動原理として生き続けていくにちがいない。
                                    

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