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二宮金次郎、二つの肖像(10)

                     非権威主義とリアリズム
                    SS情報ひろば第24号(2015年10月1日)

                       


                                 いきいき市民大学学長  澤井 勝

 二宮尊徳の考え方は現在も、(公益財団法人)大日本報徳社や静岡県を中心とした約60社の報徳社として引き継がれている。その社是は、「勤労、分度、推譲」で、それを貫くものとして「至誠」が置かれている。これを「報徳思想」ともいうが、この報徳思想を、自ら実践した経営者として、渋沢栄一、豊田佐吉、松下幸之助、大原孫三郎、御木本幸吉、土光敏夫、稲森和夫などがよく挙げられる。これらの経営者に共通しているのは起業家であることだ。渋沢や大原は別として、裸一貫からたたき上げた起業家である。彼らは、「二宮翁夜話」(尊徳と4年間ともに暮らした福住正兄著、岩波文庫)や「報徳記」(一番の高弟である富田高慶著、これも岩波文庫にある)を読んでいたと思われる。
 これらの創始者を引き付けたのは尊徳のどのような考え方なのだろうか。尊徳は、各小学校の像にもあるように、熱心に『大学』『論語』などを読んだが、一度も正式に講義を受けたことはない。すべて独学である。そこで学んだことは、儒学者など学者や宗教家の言うことは一つの説に過ぎない、という「非権威主義」的な見方である。「それ世の中に道を説きたる書物、かぞふるに暇あらずといへども、ひとつとして癖なくして全きはあらざるなり。なぜなら、釈迦も孔子も皆、人なるが故なり。経書といひ、経文といふも、皆、人の書たる物なればなり」)(夜話)という。尊徳にとって、なにか絶対不可侵なものはない。その「非権威主義」的な精神の自由は、既存の秩序に立ち向かう起業家にとっても響きあうにちがいない。天保の改革の主役、老中水野忠邦に対しても手厳しく批判している。
 さらにそのリアリズムである。尊徳は「天下の政事も神儒仏の教えも、その実、衣食住の三つのことのみ」という(夜話)。善も悪も相対的だ。善とか悪とかいうが、「米食い虫の仲間にて、立てたる道は衣食住になるべき物を善とし、この三つの物を損害するを悪と定む」(夜話)だけのことだ。
 尊徳は理念から出発しない。実際から出発する。それは彼が百姓だからだとよく指摘される。そこが同時代の思想家である大蔵永常や大原幽学とは違う。土を耕し、用水を掘り、苗を植え付け、除草と虫取り、そして収穫という一年のサイクルで自然と向き合う。冷夏にも日照りにも耐える。そこから生まれる自然観が基礎にある。
 したがってまたデータ主義であり、現場主義である。大久保忠真候からの依頼で、桜町領の再興を全権委任された尊徳は、引き受けるに先立って十分な調査を申し出る。地元の神奈川県小田原から桜町(栃木県真岡市)まで、実に8回にわたり出かけ、ときには数十日にわたって滞在して実地調査をしている。領内の一戸一戸をたずね、田畑を調べ、用水の状況を検分している。所領の収穫量を180年間にさかのぼって確認し、領主の取り分を確認する作業を行う。その資料の分析から、領主の「分度」を確定し、順守することを事業引き受けの条件として示す。この現場で汗をかく現場主義は、現在もトヨタ自動車の「豊田綱領」やその現代版の「トヨタウェイ」に生きているとも指摘されている。

     

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