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二宮金次郎・二つの肖像(3)
         堺市生き生き市民大学 SS情報ひろば
                 奈良女子大学名誉教授 澤井 勝

二宮金次郎2つの肖像(3)
   領主の年貢を制限することから始まる 「分度」の思想

 尊徳の仕事の中心は、農家経営の再建によって、農民からの年貢によって成り立っている武士の家政整理を行い、財政再建をすることだ。尊徳による財政再建の最大の手法は、「分度(ぶんど)の確立」である。“「分度」とは、その分限や収入に応じて支出に一定の限度を設け、その範囲内で生活をし、そこに余剰のある生活を営むことが尊徳の教えであるが、その生活基準を分度という”。これは京都大学教授で歴史学者であった奈良本辰也さんの定義である。

 たとえば桜町領は、小田原大久保家の分家で旗本である宇津家の領地で、東沼、物井、横田の3村、4千石が表高で、田畑は501町歩だった。しかし、元禄期には443軒、人口1915人だったものが、文政期には145軒、730人へと3分の一に減っている。その田畑も67%が荒地となっていた。

 尊徳が桜町領でまず行ったのが、この土地の正味の生産力の測定だった。その結果、元禄から享保までの10年間の年平均収納高と、文化から文政までの10年間の年平均収納高の中間、2039俵を大体の目安とした。すなわち、財政再建中は、この2039俵の半分(5公5民)の1005俵を、宇津家の分度として、領主の生活をその範囲に収めることを求めた。これを受け入れなければ、再建作業は引き受けないのだ。

 残りの1000俵余と、尊徳が作った資金とで、農家の家を修繕し、干鰯などの金肥を購入して農家に与えた。また農業用水路を新たに設け、畦道を直し、荒地を復旧した。尊徳の作った資金とは、小田原から桜町に引っ越すとき、再興した二宮家の田畑も家財道具もすべて売り払って得た資金である。また桜町領に来てまずやったことは、毎日の廻村で全農家の状況を把握するとともに、出精の者の表彰を行い、鍬や鎌を与えることだった。出精の者を選ぶのは、一般の百姓たちの「入れ札」によった。この資金もまずはこの尊徳の手元資金によったようだ。

 この分度によって、土地の生産力があがり収納高が3千表になっても、領主の年貢は1005俵のままに据え置くから、そこで出た余剰の一部は農民の手に残る。働けば働くだけ手元に残るのだ。この年貢の制限は、封建制度のもとで農民を豊かにする、ほとんど唯一の方法であった。他方では、水路の整備や金肥の投入によって土地の生産力を上げ、家を修理し良い道具を揃えるなど生活と働く環境を整える。また老若男女を通じた表彰などによって、農民のやる気を引き出す。分度が立てられるかどうかが、農家経済ひいては領主経済再建の鍵なのだ。

 

                                                                                                      

 

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