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                   ガバナンスの時代と公営企業  
       2004年10月執筆(『公営企業』04年11月号草稿)
                              澤井 勝

                     目次

 はじめに  ふたつの政策原理(目標)・効率性と公平性  広い意味の「行政責任」  分権改革と自治体の仕事  ガバナンスの時代  横の対等の関係と「新しい行政責任」  「ミッション」の明確化と共有  「政策目標」=「ミッションの確立」  「ミッションの加工」=「まちづくり指標」  

 


                    

 はじめに

公営企業に対して規制緩和と効率性を求める声は強まる一方である。特に慢性的な赤字経営を立て直し、市民の税の使い方をより分かりやすく、意義のあるものにするよう求める意見は多い。そして、民間への委託事業の拡大やさらに進んで全面的な民間経営への移管の動きも強まっている。福岡県の県立5病院の民間への移譲論や、水道事業への民間事業者の参入、函館市など公営交通の民間への経営移管。このような動きは市場原理に公営企業をさらすことで、経営の効率化とサービスの向上を図れるとする「エコノミスト」の強い支持を受けている。

 この広い意味での民営化(プライバタイゼーション)の勢いは財政当局からの経営合理化の強い要請と、もう一歩進んで公営企業への赤字補填のための繰出し金圧縮に向けた、普通会計の財政健全化ないし財政再建政策によって強められている。

一方で、市民あるいはサービス利用者からは、公営事業であることに安全や安心のよりどころを求める声も根強い。それは、サービスの質の悪さや、お役所仕事的な非効率性に対する批判を必ず伴なうが、最後のよりどころとしての、公営である以上は行政責任を果たすべきだという期待だともいえる。したがって、経営的には難しい条件を持った公営事業を、できる限り維持するように様々な圧力が絶えずかかっている。不採算事業を引き受けて、その赤字を最小にし、できれば黒字にするよう、難しい経営努力を求められてもいる。

 特に、高齢化がすすむ地域社会を維持し、できればコミュニティを再生するために、市民からの公営事業、あるいは公的な公共サービス供給への期待は大きい。

 その隘路を打開するために、90年代になってNPOなどとの協働事業や、民間企業との協働事業が展開されてきたということもできる。武蔵野市のムーバス事業や今年の3月からの京都市醍醐地区でのコミュニティバスなどがそうだといえる。いわば一部にボランティアの働きや、ボランタリズムの活力を組み込むことで、事業経費のコストダウンと良質な公共サービスの創出との両立を図るものだともいえよう。

 

二つの政策原理(目標) 効率性と公平性

 このように公営企業は一方における「経営の効率性」の追及と、他方における「公共サービスの公平な提供」と確保、というふたつの原理の間で揺れている。もちろんこのような「経営的効率性と公平性の確保(セイフティーネットの提供)」という二つの原理の両立は、公営企業が背負う基本的な特質である。つまり、相反するようにも見える、「効率性」と「良質なサービスの公平な提供」という二つの「政策目標」は、あれかこれかではなく、二つともに実現すべき目標、あるいは実現すべき理念なのである。しばしば過度に効率性に傾いたり、公平性の確保という名目で政策的な硬直性や非効率が合理化されたりという、両極にゆれながらも、この二つの政策目標は共に実現すべきものである。

 考えてみれば近代国家を作ったフランス革命が掲げ、現在のフランス共和国憲法にも受け継がれている「自由、平等、博愛」という理念は全てが完全に実現しうる原理ではない。特に「自由と平等」は互いに矛盾する場合も現実の世界ではある。しかし、このふたつの原理をともに実現することが、人々にとっての民主主義国家をつくる意味なのであり、国家の存在理由なのである。

 とはいえ、今後とも20世紀の終わりのような高度経済成長が見込まれず、「持続可能な社会」を実現していくための、「成長管理政策」をとることが客観的にも求められている21世紀の公営企業経営は、このふたつの原理を共に実現することを、より厳しく要求されているといえる。

 

広い意味での「行政責任」

 このとき重要なのは、従来、公営事業として管理運営してきた事業を完全に民営化することもありうるが、そのように民営化した場合にも、その公営事業体が提供してきた公共サービスについての「広い意味での行政責任」は、市民や利用者の安全と安心を確保するという観点から、なお存在することを明確にしておくことである。

 この夏、810日に起きた関西電力美浜原子力発電所3号機の発電施設の建屋でのパイプ破裂によって、改修に当っていた下請け企業の社員5人が亡くなった。この事故で、関西電力は業務上過失致死などの容疑で警察による強制捜査の対象となった。新聞報道は、原発の検査を三菱重工に委託したが、このパイプが運転開始以来28年間も点検されていなかったこと、そのことを関西電力が知らなかったことが、この重大事故につながったものであり、以前の事故以来改善されない「まる投げ」体質として厳しく批判している。検査委託の結果を正確に把握していなかった管理責任が、刑事法の上でも、電力事業者としての社会的責任としても問われることになる。この場合には直接の管理責任のある建屋での事故という企業としての責任であるが、公営企業や行政による民間委託の場合にも、その管理責任は同じ構造をしているわけである。

 このような「責任」は、次のようにも現れる。病院事業の場合、公立病院の民間への移譲などが問題となっているが、その際、民間への移譲等にいたるまでに、それぞれの公立病院経営をどのように行ってきたかという問題は当然ある。これはいわば「経営責任」である。

もっとも病院の場合は、価格体系が診療報酬というかたちで公定されているから、それぞれの経営努力とともに、この全国的に画一化された価格体系の歪みや矛盾を改めていくという問題もあることは留意しておきたい。

それとならんで、公立病院を廃止したり再編したりするとき、その県または地域における「医療政策」が問われなければならない。地域住民に適切な医療サービスを、どのように準備し、提供するかという「医療政策」を策定し執行することが、行政としての責任であり、「行政責任」である。

もちろん地方自治体にどのような医療に対する行政責任があるかは現在の法体系では明確ではない。しかし、地域住民に税を賦課し、公選で選ばれたその代表者が立法し、行政を行う地方自治体は、広く住民の生活に関わる公共サービスの量や質を管理する責任を持っている。その一環として、その地域における「医療サービス」の水準の向上や維持に責任を持つと理解すべきである。

 

分権改革と自治体の仕事

20004月に地方分権一括法とともに施行された改正地方自治法は、その第1条の2で、「地方公共団体は,住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。」と定めている。この規定は、改正前の地方自治法の第2条第2項「普通地方公共団体は、その公共事務及び法律又はこれに基づく政令により普通地方公共団体に属するものの外、その区域内の事務で国の事務に属しないものを処理する」、および地方公共団体の事務を例示した同条第3項の規定に対応している。この例示では、第6号として「病院、診療所、産院、(中略)その他の保健衛生,社会福祉等に関する施設を設置し若しくは管理し,又はこれらを使用する権利を規制すること。」としていた。

改正自治法では、このような例示規定はなくなったが、より包括的に地方自治体の権限の所在を規定しているといえる。旧規定でも「病院の設置」は必ずしも必要ではないわけだが、それを「管理し、これらを使用する権利を規制する」という意味では、地域における医療サービスの管理責任があると読むことができるし、その意味ではこの地域医療サービスに対する「行政責任」は、新自治法に引き継がれていると解釈すべきである。

この「地域医療政策」の確立とその推進という行政の役割は、医療が基本的には民間の市場原理の中にあるから限定されたものではある。しかし、不採算医療の確保や、高度医療の支援、人材養成や確保政策という面では大きな役割を果たしうる。特に最近、少子・高齢化社会への移行によって、小児科や産婦人科医師がなかなか確保できない地域が増加していることも、地方自治体が地域医療に直接、関与することを求められる有力な要因となっている。

 

ガバナンスの時代

このような「行政責任」は、水道事業や下水道などの展開、地域公共交通システムの維持とレベルアップという事業にあっても求められる。

しかし、現代の「行政責任」のあり方は、20世紀型の「規制行政」という「行政処分」などの行政サイド又は供給サイドである側からの論理ではない、かなり異なる要素が入ってきている。それが「ガバナンス時代の行政」のあり方として論じられ、実践的にもさまざまな試みが始まっている課題である。

 すなわち、政府の機能をその政治的機構として反省するトレンドが、1990年ごろからヨーロッパやアメリカ諸国などで強くなってきたとされている(中邨章『自治体主権のシナリオ』葦書房)。「ガバメント」という政治的機能に対する批判といっても良い。「ガバメント」とは、英語圏では行政と議会が市民を管理する、支配するという意味合いが強く「政府統治」という言葉に近い。基本的にはこの20世紀的な政府システムに対する不信感が強まってきているのが世界的な傾向である。

 主にふたつの要因によってガバメントとしての政府機能が低下してきたとされている。第一には、経済のグローバル化である。経済のグローバル化は特に金融経済のグローバル化が顕著だが、国際企業の経済活動を国境によって管理することが非常に困難になるというかたちで現れている。政府の規制を超えて流通と生産、そして金融取引と資本の移動が激しく行われ、ガバメントはその力を大きく制限されてきている。

第二の要因は、情報技術の発展である。特にインターネットを通した情報のグローバル化によって、政府の情報管理能力は著しく制限されるようになった。同時に情報独占と秘匿による政府の統治機能の維持も、情報公開とその早い流通によって極めて難しい状況になりつつある。

これらの条件もあって、政府機能の限界が明瞭になり、それが「政府への信頼」をゆるがせ、「政府不信」を広げてきているとされている。

この政府不信は、次に見るように「代表民主制」への批判である側面を持つが、同時に行政国家としての福祉国家を運用してきた「官僚制支配」に対する批判であるということもできる。国際比較調査によると、そうした政府不信はヨーロッパ全土に一般化しつつある。『代表民主制は、環境問題や人口の爆発的増加、あるいは貧困や失業、それに移民の急増や国家間の敵対意識の増幅など、今日の社会が直面している数々の難題になす術をしらない。民主制はそれらの困難に対して、解決策をみだせない状況にある。政府や自治体が非力であるということは、国民一般の目に一段と鮮明になった。』(中邨、31頁)。

 

横の対等な関係そして「新しい行政責任」

このようなガバメントに代わって、「ガバナンス」という考え方に関心が集まるようになっているのである。この「ガバナンス」という言葉は、1988年にピッツバーグ大学のガイ・ピータースなどが学術雑誌『ガバナンス』を発刊したことによって注目されるようになった。その後、1990年代の金融危機の際に世界銀行やIMFが対象国の「ガバナンス」の確立を議論するなどして広まっていったとされている(仲埜『同』など)。

現在、「ガバナンス」という言葉が意味するものは、縦系統の支配としての「ガバメント」に対して、例えば中央政府と地方自治体が「対等な関係に立つ」という意味合いを持つ。そして市民と政府も、対等な、水平な関係にあるという意味で使われる。和訳として「協治」とか「共治」などとされる由縁である。もうひとつは、「ガバナンスと市民社会」というように、「市民社会」を再構築する手段として「ガバナンス」を議論する傾向が強い。

このように政府と政府、政府と市民や企業が水平的な関係に立ち、協力するということは、「情報公開」をキーとした「参加」ないしもっと積極的に「参画」ということを不可欠なものとする。

 ただ「ガバナンス」の実現のためには、行政の透明性、行政の執行過程を担う市民活動、その市民的政策評価など、現状を超える行政と市民、事業者の「協働の仕組み」が追求され、「行政の過度の市場化」を「説明責任」の確立によってコントロールする必要がある。

 現在のガバナンス論は、社会的に解決すべき課題、すなわちアジェンダの複雑化とその量的拡大に対する政府の解決能力の機能低下を批判しつつ、その政府機能を補完するとともに、官僚制の改革をも展望する。そのために市民自身が力をつけることを通じて市民社会を再構築し、行政と市民とが協力しつつ新しい公共空間をつくることを目指すという傾きが強いといえる。

 このような21世紀のガナンスの時代にあって、「行政責任」あるいは、公営企業の場合「地域経営の責任」とは、「市民との協働」を実現し、市民の力をつけ、事業者とNPOなど専門家集団を政策主体として形成することである。そして、基本的人権の擁護や、市場の失敗によって制度の谷間に落ち込んだひとびとの自立を支援するところに「行政責任」がある。

 

「ミッション」の明確化と共有

 このような「ガバナンス」の時代は、今も触れたように「行政と市民(NPO)と事業者の協働の時代」でもある。縮めると「行政と市民との協働」となるが、この場合重要なことは、行政と市民とが、具体的には行政とNPOとが「対等である」ということである。NPOはそれぞれ「ミッション」をもつ。文字通りには「使命」だが、それは「組織として実現すべき社会的な価値」ということでもある。このNPOのミッションを損なうような、行政からの「下請け化」は厳に慎まなければならない。ただし、この「協働」は行政の現場では、「安上がりの民間活力の利用」、「新しい安価な事業委託技法」と捉えられている場合が残念ながら多い。それは間違いであって、行政と市民が、共に共通のルールを守り、共通の使命、目的を達成するために、企画段階から相談し、相互に資源を出し合って、仕事をすることを意味する。

 公営企業の場合も、このような「ガバナンスの時代」と無縁ではない。公営企業の経営や新規事業に市民参加を求め、また事業者の主体的な参加を求める。意見や批判を頂戴するばかりではなく、実際の経営への参画を進める。ボランティアを広範に受け入れ、その目線と発想法を生かし、事業現場を活性化する。外部監査を積極的に活用すると共に、外部の専門家とともに事業の見直しを行う。公営企業としての経営の安定性や成長の可能性は、利用者である市民との間で、以上のような新しい関係を構築するところにあると考えたい。あるいは、市民や利用者との間で、その事業について共通の実現すべき価値を共有することである。

言い換えれば、必ず明確にしなければならないのは、その公営事業の「ミッション」であり、その「ミッション」の事業者と市民、利用者との間での共有である。

 

「政策目標」=「ミッション」の確立

それは「政策目標」の明確化だということもできる。たとえば現代の下水道事業ではどのような「政策目標」を掲げるべきか。そしてその政策目標を達成するために、どのような「事業目標」を数値目標として設けるべきか。まず、環境を守る事業としては、そして市民との協働によって事業を進めようとするなら、その「政策目標」は市民や利用者に分かりやすいものでなければならない。したがって、市民との協働の委員会で、「泳げる川にする」や、「水道原水として安全な川にする」ということが、「政策目標」とされてもよい。

もちろんこのような「政策目標」は、下水道事業だけで実現できるものではない。農業地における農薬などの利用のあり方、工場排水の規制とコントロール、生活排水の水質の向上など生活構造の転換、などそれぞれの面で大きな課題を抱えている。

したがって、そのような「政策目標」を実現するために下水道事事業者としてはどのような「事業目標」を定め、いつまでに実現するかという計画が必要となる。そしてまた、市民や事業者が果たすべき役割とその目標が、それぞれ明確にされ、行動計画として共有される必要がある。

下水道事業者としての「事業目標」は、最低の目標として放流水の水質を下水道処理の基準とし、それを事業目標にすることも考えられる。2004年4月施行の改正下水道法施行令では、「処理施設の構造の技術上の基準」として「計画放流水質」の項目が定められている。BODについては15以下、10以下の2区分、全窒素については無設定、20以下、10以下の3区分、全リンについては無設定、3以下、1以下、0.5以下の4区分で、下水道管理者はこれらを組み合わせた水質区分をもって自らの「計画法流水質」を定める、としている。これを新たに「事業目標」として設定することも考えられる。(なお、加藤英一『下水道のバランスシート』北斗出版、参照。)

 

「ミッションの加工」=「まちづくり指標」

筆者が議論に参加した大阪府枚方市の総合計画(計画期間2001年度からの10年間)においては、市として目指すべき「6つの基本目標」を掲げている。その「基本目標」のもとに、「政策目標」に相当する、いくつかの「まちづくり指標」を掲げ、その進捗度を測ることとしている。その一部を紹介する。

基本目標1は「人と自然が共生する環境保全のまち」である。そのような「環境保全のまち」がどの程度実現しているかを次のような、市民が感受しやすい「まちづくり指標」10本をもって測定することしている。(詳しくは枚方市のホームページから「市の仕組み・市政」にアクセスしてください。)

(1)一人一日当りごみの量 総排出量/人口×日 大きな目標として半減としている。

(2)環境にやさしい市民の割合 買い物袋を持って買い物に行く人の割合。

(3)環境にやさしい企業の数 ISO14001を取得している枚方市に立地している企業の数。

(4)ごみの資源化率 資源化できたごみの量/ごみの処理総量。

(5)空気のきれいさ 大気環境基準適合率 窒素酸化物(NOX)、浮遊粒子状物質(SPM)。

(6)水のきれいさ 水質環境基準適合率 BOD、有害物質(環境基準健康項目)。

(7)静けさ 騒音環境基準適合率 道路に面しない地域と面した地域の適合率。

(8)自然に親しめる環境作りを行っている学校の割合 市内の小中学校においてビオトープ等を整備している学校の割合。

(9)みどりの割合 緑被率(農地、水辺含む) これは低下率を抑えるのが目標。

(10)一人当りの公園面積 公園面積/人口。

 

この「まちづくり指標」のうち、(2)の「買い物袋を持っていく人の割合」など8つ

の項目は、市民アンケート調査を行うこととしている。既に、2001年と2003年に2回の市民意識調査を行い、その結果も市のホームページ上に公開している。また、47指標についても、数本の補助指標と共に、平成12、13、14年度の実績値が同じように、ウェブ上で公表されている。

 この基礎的なデータとしての「まちづくり指標」は、経年的な「ベンチマーク」の機能を持ち始めており、市民と行政とがこの指標の持つ意味とその変化の意味をお互いに共有し、次の政策課題や事務事業の改革課題を明らかにすることが次の課題である。それによってより具体的な行政・市民・事業者のアクションプランを策定し、推進する仕組みの構築が求められる。この総合計画は5年で見直しをすることになっているから、その見直し事業の一環として、「まちづくり指標」の有効度や、政策目標としての適切さなども検証されるとよい。

 

おわりに

 これからの公営企業の経営を考えるときの、いくつかのポイントについて考えてきた。まずプライバターゼイションの流れの中で「広い意味での行政責任」とはなにか、分権時代とガバナンスの時代に即して検討してきた。そこでは、市民や利用者、そして行政(公営企業)が対等な立場で、その事業の「ミッション」を共有することが重要だということを指摘してきた。

これからの公営企業は、市民と利用者の支持がなければ立ち行くことは難しい。その場合の「市民の支持」とは、その事業に市民が、企画、運営、評価、新事業の展開、という各局面で主体的に参加することで生まれるものである。このような「市民」とは、いわゆる「顧客満足度」に表現されるような「安く、良質なサービスの受益者」ではない。つまり客体としての、あるいは「受益者」としての「消費者」ではない。それは「新しい公共サービス」の担い手としての、具体的な活動を通じたその事業に対する支持を責任を持って表明する「市民」である。

 そのような市民は、ミッションを共有すること、そのための「まちづくり指標」など政策目標や事業目標の明確化とその進捗度の評価、などを共有すること、このことによって徐々に力をつけていく。そのような市民とその活動を支援していくことが、これからの公的セクターの「行政責任」のあり方なのである。

 最後になるが、公営企業が、その公的機能をより鮮明にするためには、「社会的責任投資」(谷本寛治『SRI社会的責任投資入門』日本経済新聞社)の投資対象となるような「企業の社会的責任」を追及する、そういった企業となることが求められることを強調しておきたい。人権への最大の配慮、持続可能な発展に資する経営活動、地球環境問題に適切に対応できる企業活動、法令遵守(コンプライアンス)などで、投資家に高い評価を受けることができるかどうか。また、環境や人権に配慮した企業かどうかを評価する「総合評価入札制度」(武藤博己『入札改革』岩波新書)の採用なども、大きな課題である。

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