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市町村合併を考える

(初出:自治労京都2002年新年号)

進むか市町村合併
 今年、2002年は、全国的に市町村合併に向けた動きが盛り上がるような気配だ。昨年の今ごろは、どの市町村でも「どこか遠くの話だ」というのが当たり前だった。これは、各道府県の合併パターン作成とその提示が終わったことによって、具体的な話がしやすくなったことも理由のひとつである。
 われわれは、それが仮の話だと知りながら、国や府県から具体的な組み合わせが示されると、結構、本気になるところがある。分権改革で国と地方、府県と市町村が「対等・平等な関係」になったといっても、まだまだお上意識と、「指導を受けたい病」は抜けきれないところにも問題があるのだが。
 ところで、自治労京都府本部が昨年1月に行った職員アンケート調査では、各市町村ごとに大きな温度差があるが、ならして見てみると合併必要が20%、どちらかと言えば必要が30%、それほど必要と思わないが42%、まったく不必要が7%強、という答えになっていた。この結果はなかなか面白い。合併賛否の理由も興味深いものがあった。いずれにしても、市町村合併を進めることに賛成か、反対か、合併を進めるとしてどのような合併が望ましいのか、合併困難地域として合併をしないとすると、どのような生き残り策を考えるのか、といった問題についてそれぞれの判断が迫られているのも事実である。
 2002年の年頭にあたって、これらの問題について考えるための論点整理をあらためてしてみたいと思う。

減少もありうる財政収入
 まずなぜこの時期に、市町村合併なのであろうか。その理屈は総務省を初めとする政府や、地方分権推進委員会の勧告、および合併推進論の研究者の議論を中心に整理してみると、基本的には次の三つの理由にしぼられる。
 第一には、財政構造改革という政策に関連して、地方財政の効率化とスリム化の要請がある。これは国と地方、合わせて666兆円(2001年度末で)と言われる政府の債務をなんとか処理しなければならないという財政構造改革にかかかる問題である。基本的には、借入金の残高を減らし、元利償還金を返すために、中央政府と地方政府の一般歳出規模を、租税すなわち税金の収入に見合った大きさにまで抑制しなければならない、という問題がある。
 では、それがなぜ市町村合併か。それは、人口規模の小さい市町村と人口規模の大きい市町村とを比較すると、人口が少ないほど一人あたりの行政コストが割高にならざるを得ないという事実によっている。つまり小さい市町村が多い現状は、それだけ全体としてコスト高になり、財政規模を膨らませることになっていることは否定できないからである。したがって、市町村数を減らせば(特に小規模の)、20年後、30年後には、全体の地方財政規模を相当圧縮できると考えられる。首長など3役と議会議員は、確実に減る。職員一人あたりがあつかう事務や事業の量は、これは確実に増加することになるだろう。
 逆にいえば、これから財政面での政府規模の圧縮というトレンドが現実のものとなっていくとしたら、そのような制約のもとで、十分な行政サービスを確保し、住民の生活を支える市町村として、合併によって財政基盤の強化が必要だ、という意見もありうる。この場合の財政基盤とは、予算規模50億円の町がふたつ合併して、100億円の市町村になることを意味する。確かに財政規模が大きいほど、新政策に必要な細かい財源のねん出がやりやすくなるのも事実である。それが、財政の余裕を生むことにもなる。

分権改革の担い手として
 第二は、分権改革にともなって、市町村のやるべき仕事が増大しているということがある。やるべき仕事と、責任の増加と言ってもよい。その内容も専門的になっている。このように大きく変化しつつある自治・分権行政を十分に展開できるような、強力な自治体が求められている。この行政のやるべきことの劇的な変化に、一人の職員、特に係長クラスがいくつもの仕事を兼務している町村の現状では、なかなか対応できないと考えられる。つまり、職員の専門性を高め、国と対等に議論する能力を獲得するためには、現在の多くの小規模市町村では難しいとされている、人的な余裕の確保、研修機会の保障などが実現されなければならない。それが合併による職員数の拡大によって可能になるのではないか。そういう期待もある。
 第三には、職員の人数面での規模の確保による、仕事と時間の効率的な再編成とならんで、施設などの二重投資を避け、既存の施設の組み合わせによる総合的で効率的な運用が考えられるべきだという考え方も検討される必要がある。つまり、物的な資源の広域的活用と活性化という面での合併のメリットである。限りある資金と施設などの資源を、現在の市町村の区域を越えて、フルに活用することが求められるという点である。広域的なリサイクルセンターや、本格的な音響・舞台装置をもつ文化施設、体育施設、森林の維持管理施設設などの、効率的な配置と役割分担、そして活性化が求められる。それが合併で進むのではないか。

財政特例措置で議論が横道へ
 さて、市町村合併が以上のような理由から議論されているのはいいとして、最も必要なことは、合併することによって、「どのような新しい自治体をつくるか」という議論である。ところが、合併をしやすいように、財清措置がいろいろ提案され、そのことによって、一種の混乱が生じているように見える。つまり、どのようなまちをつくるかという問題が十分に議論されないまま、道路建設など建設事業をどれほど確保できるか、という事業レベルに関心が集中してしまうことになっている。特に合併特例法の期限が、2005(平成17)年3月と切られているために、それに間に合わないと損をするという意識がかなり強く影響をしているように見える。
 合併に伴う財政面での特例措置を利用できないということは、合併の道を選択しない市町村にとっては、事実上かなり厳しいペナルティになる。合併に伴う財政措置の恩恵を断念したところは、実は自治の気概に満ちた、気骨をもった町村である可能性が高いのだが。

どのような町を創るか、それがひとつのポイント
 いま求められているのは、どのような町を創るか、このテーマを徹底して議論し、具体的なイメージと構想を提案することである。市町村合併は手段であって目的ではない。目的は、広汎な住民の願いを実現することである。その際、着目すべき点をいくつか挙げておきたい。
 第一には20年後30年後に、子ども達が、この町に生まれて育ったことを誇りにしうるまちにするということである。町は、いまの親達だけのものではない。子どもたちのために、これから新しい伝説とストーリーをつくることが今の親の世代に課せられている。歴史はつくられるものだという考え方が大事なのである。
 第二には、既存の資源の堀起こしが具体的な調査をとおして徹底して行われ、それらを活かすために何を追加すべきかという議論が不可欠である。これは、地域活性化のための基本的論点である。合併しないで生き残りを考える場合にも、あるいはそれだからこそ、これをきちんとしなければならい。
 したがって第三に、もしも合併が選択されるとして、新市町村を構成する旧市町村の個性がくっきりと描かれなければならない。合併特例法の中に、地域協議会の設置や、支所の活用が謳われているが、それの意味するところは、構成市町村の歴史像と将来像を、新市町村の中に明確に位置づけるべきだという政策だと解釈したい。これからの合併は、それぞれ意識的に自立した地域(旧市町村など)が連合した「共和国連邦」であるべきなのだ。個性ある地域の連合体という性格をはっきりさせることによって、地域の活力を引き出し、住民自治が躍動する新しい町をつくる展望が開かれる。
 第四には、新市町村建設は、住民自身によって担われるという性格をもっと明確にするべきだと思われる。行政や議会の一部が、将来像を決め(手続き上はそれで十分なのだが)、住民はその議論から外されるという状況は避けたい。「新市町村建設住民500人委員会」のような、住民が率直に意見交換できる場が作られることが望ましい。合併協議会の設置については、住民の直接請求が認められている。この考え方の延長線上に、住民によるフォーラムが設置され、それが法定の合併協議会を支援するかたちができると面白い。

 新しい町をつくるという、わくわくする経験をすることが、地域活性化の再起動につながるはずである。

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