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隠岐・島前紀行

(初出:自治日報01年11月30日号)

 つい先日の文化の日(2001年11月)に、隠岐島の島前(どうぜん、と読む)を構成する三つの島にある三町村でのシンポジウムに参加してきた。ツワブキの黄色い花が島内どこでも盛りだった。テーマは市町村合併を考える。主催は実行委員会、共催が西ノ島の西ノ島町、中ノ島にある海士町、知夫里島の知夫村の各商工会、JA(既に3町村合併している)、各漁協、それに島根自治体学会で、三町村の議会が後援する。立教大学の新藤宗幸さんの基調講演と、島根県立大学の田嶋義介さんの司会によるシンポという構成。

 市町村合併の基礎にあるのは、各道府県の合併案にもあるように、その地域の一体感や具体的な連携関係である。その地域が、行政の効率性や有効性の確保、専門性の強化という面から合併が適切な選択肢であると自己認識するとともに、同時に、地域の将来を共に考え、協働して地域を創る意思や夢が形成されていることも自主的合併がスムーズに進む要件である。それは、市町村の枠組みを越えた地域的なまとまりをどう形成するか、という問題でもある。

 島前地域の場合、そのまとまりの核となるのは、三つの島に囲まれた内海である「島前湾」または「島前内海」ではないかと感じた。この内海は、幕藩時代は北前船の停泊地であったし、後醍醐天皇の配流地である西ノ島の黒木御所も、海士町にある後鳥羽院の行在所も、この波穏やかな内海に面している。

 現在のこの内海は、内航船組合が運行するフェリー「びんご」と、水上バスである「いそ風」がつないでいる。つまりこの内海は、三つの島を隔てるとともに、三つの島を結ぶ海上の道となっているのだ。これは、日本海が日本と大陸を隔てるとともに、大陸と日本を結ぶ自由な道となったことと同じである。

 内海を取り巻く低い山々には、松枯れ病によって松はなくなり、カシやタブなどの照葉樹林が復活しつつあるように見える。今は枯れた松を整理した後に林業復興公社によって徐々に植林が行われている。地域の未来を見ると、この内海と島の山林は一体のものとして、ひとつの循環系として、考えることが必要だと思われた。海と森との一体的な管理が可能な地域と考えたい。「森は海の恋人」だからである(畠山重篤著、北斗出版)。

 なによりも、この海は実りの海である。晴れた秋の朝の湾には、鯛の一本釣りの船が、点々と出ている。この湾は、鯛などの放流が行われている大きな生簀であり、養殖池だという。平成時代に入ってもイカがときに浜辺に押し寄せ、人々は手掴みで収穫する。大きな4つの水路で外海に通じているので、錦江湾や東京湾のような閉鎖水域に近い湾とは違って、環境的には、はるかに有利に違いない。

 島と島との距離が近く、琵琶湖の対岸を見るより遥かに親密な関係にある。水を隔てて見る隣町の明かりは、なにか懐かしい感情を起こさせる。もし、三つの島に橋がかけられても、この内海と外海を、豊かさと環境のよさを持った、また人を結びつけながら、適当に隔てる働きを持った、世界一の海にしてもらいたい。再生機能が豊かに働くような海と森を基盤にして、持続可能な地域社会のイメージを膨らませてもらえたらと思う。

 ジョン・レノンの「イマジン」が、強く人のこころに響くのは、「想像してごらん、戦争のない世界を」という、イマジネーションの力に訴えているからだ。理念や想像や夢は、それ自身が人々の生きる力になる。そしてその夢を力あるものにするのは、実は、地道な調査であり、既存の資源の見直しと掘り起こしなのだ。市町村合併を進めるにしても、合併困難地域で頑張るにしても、この両者はともに不可欠なのだと思う。

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