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協働時代の地域政策
     (島根県立大学紀要『地域政策』寄稿原稿)

                                  

奈良女子大学名誉教授 澤井 勝

目次

地域社会への期待  行政に求められる新しい専門性  ソーシャルワーカーとしての行政機能の確立  公共政策の担い手としての住民  地域の定義  地域就労支援事業の場合とコミュニティ・ビジネス  再生するべき地域社会?  人間関係としての地域社会と「景観」   これまでの地域社会のスケッチ(1)農村部  これまでの地域社会のスケッチ(2)都市部の場合  自治の伝統の違いを認めて(1)ヘルシャフトとゲノッセンシャフト  自治の伝統の違いを認めて(2)アメリカの地方自治  コミュニティとアソシエーション  歌の結社とアソシエーション  新たな地域社会をつくる

 

地域社会への期待

 ここのところ「地域」に対する新しい関心が高まっている。それはわが国の少子高齢化の進行と人口減少時代への突入、グローバル経済の下での格差社会への移行とともに、新しい公共政策や地域政策の必要性が明確になり、その解決のために「地域」ないし「地域社会」が持つことが期待される「地域力」に注目が集まっているからである。そしてこの「地域力」を育む、自治体行政の新しいあり方としての「協働」と「新しい公共」について関心が集まっている。(ただしこの「協働」は、一方では、先進諸国共通の20世紀型の集権的「福祉国家」の限界が明らかになり、従来の財政構造を維持できないという財政制約に条件付けられている。そういう条件の下での「分権化」であり、また「福祉多元化」と「ボランタリーセクター」ないし「非営利法人」の役割の見直しでもある。)

このような観点から「地域社会」の衰弱や解体がさまざまなかたちで問題とされ、その再生や再構築が課題として議論されている。この「地域社会」の解体や衰弱は、「家族」の変容や解体と平行して議論される。それは、「地域社会」の解体が「小規模化して孤立する家族」の抱える問題をさらに拡大し、解決を難しくしているからである。それは、「都市社会」が抱える難題でもある。

 たとえば、2000年度の介護保険制度の導入とその運営に当っては、この家族と地域社会の機能不全ないし解体という社会システムのほころびを前にして、「介護を要する人」と「介護をする人々」とが、社会的に孤立する中で、最後には無理心中をしたり、そこまでにいたらないにしても虐待する関係にいわば追い込まれている状況を、制度的に変えようという意図が強く働いている。

このような社会的なアジェンダが、実際に介護をしてきた人々、特にその圧倒的多数をになう女性たちや、ジャーナリスト、そして福祉施策を担う現場の労働者や官僚、および政党のかなりな部分において共有される中で、様々な議論が戦わされながらも比較的スムーズに「公的介護保険制度」が生まれてきたのではなかったろうか。そのキーワードとして「介護の社会化」というふうに言われたことは、このことを表現している。「権利としての福祉」という言葉も定着してきつつある。

もっとも「介護の社会化」は、家族による介護を福祉の措置に置き換えることだけでは成立しない。それだけでは地域社会の中で、「小規模化して孤立する家族」を支えることはできないこともあらためてはっきりしてきている。「小規模化して孤立する家族」が抱える問題を、行政的な措置だけで解決することは難しい。まず財政的な制約のために十分な人手を確保したり、それを365日、24時間稼動させることは困難である。それと共に、柔軟さを欠いた、縦系列の命令系統に依存する官僚制的な組織原理(後にふれるヘルシャフト的)の制約がある。

そのために、地域における住民同士の「助け合い」や「ふれ合い」のような、人々の横のつながり(後に見るゲノッセンシャフト的な)仕組みを再建するか、新しくつくり、自治体や民間の専門職(コミュニティ・ソーシャルワーカーなど)との協働を構成するというかたちで「新たな地域社会」の構築が望まれている。そこにおける、行政の新しいあり方、いわゆる「市民と行政とのパートナーシップ」を本格的に担える公務員への転換もまた強く要請されている。

ちなみに最近復刊した『現代の理論』第1号(0410月)の巻頭の対談、「ヒトはいかなる星のもとに生きるのか」でも次のように議論されている(注1)。

「沖浦 そのようにみてくると、コミュニティの解体は、そのままヒトの死滅に直結しますね。ヒトは「群れ」でないと生きて行けない。

尾本 要するにエゴイズムだけではダメで、他人を慮ったり、共感を感じるってことも大事。思いやり、相互扶助、これが非常に大事なんですよ。ところが人間は、アグレッシブな行動とか、やれ競争とか、そういう局面ばっかりもてはやされるような、世界の時流がありますよね。」

 

行政に求められる新しい専門性

 この家族の変容から生じる様々な課題に対して、政治がどう対応してきたかをやや詳細に見ると次のようになる。この動きは2000年以降に顕著になってきたもので、いくつかは議員立法で進められてきた。なぜ議員立法で政策化が行われてきたのか。それは新しい公共課題に対して、各省のたて割りの組織原理では、すぐには対応できなかったからである。

20005月、議員立法で児童虐待防止法成立、同年12月施行。

20014月、同じく議員立法で配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(DV法)成立、10月施行。

20027月、ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法成立。もともと20016月に連合大阪の中小労働運動センター(要宏輝所長)が民主党と法案化をしたもの。

20036月、無料職業紹介事業を自治体に開放する職業安定法改正、043月施行。

20046月、児童虐待防止法改正、10月施行。通報義務の拡大、市町村を第一線機関にし、都道府県の児童相談所は専門機関に。

20046月、DV法改正、12月施行。市町村に相談センター設置が可能になる。

200412月、発達障害者自立支援法成立、054月施行。アスペルガー症候群や高機能自閉症を新しい障害と位置付け、市町村の役割を重視。

20056月、改正介護保険法成立、064月施行。地域包括支援センターを中学校区程度の日常生活圏に設置し、介護予防事業と権利擁護事業のセンターにする。介護サービスを重度者に重点化する方向が明確になる。リハビリ期間の短縮や、介護用具貸し出しの制限なども。

200511月、障害者自立支援法成立、064月一部施行。身体、知的、精神の各障害と児童福祉法の障害児施策を一つの法律に統合する。介護給付費の一律一割の利用者負担を導入。障害程度区分を市町村が認定する制度を0610月に導入する。

 

これらは、一方での財政再建施策によって促進され、他方では地方分権の流れの中で市町村への権限移譲と都道府県の役割強化というかたちで進んできたものだ。ところで新しい法律ができるということは、それを要請する社会的なニーズがその水準にまで達していることでもある。その社会的ニーズとは「小規模化して孤立する家族」の増加という共通の根から生まれている。

このような新しい仕事は自治体、特に市町村に多くの課題を突きつけている。そのひとつは「専門性」の確保という問題である。現在の市町村には、これらの新しいニーズに基づいて作られた法律を駆使し、対応できる「専門性」の蓄積が乏しい。障害者自立支援法の課題を指摘するなかで、慶応大学教授の浅野史郎元宮城県知事も次のように述べている。なお、宮城県は042月に「施設解体宣言」をするとともに、知的障害者が地域のグル−プホームで暮らす施策を進めている。

「実施主体となる市町村の職員の専門性をどう確保するかも課題である。市町村の担当者が、そもそも自立支援法実施にあたっての問題点を認識していないという問題も無視できない。」(注2)

この市町村の職員の専門性が確保できていないという問題は、制度発足後6年経った介

護保険などでも顕著に見られる。介護保険が「介護を要する人の日常生活の自立を支援する」制度であり、「利用者の自律的な選択を可能にする制度」として設計されていることを全く理解できていない担当者が増えている。これは市町村の人事政策が、総合職(ゼネラル・スタッフ)を育成することと、事業者などとの癒着を防ぐという観点から、3年から5年程度のサイクルで各部局を経験させるために、人事を回すことを主な柱にしているためである。

介護保険制度の場合、1997年に法律が成立してから施行するまで三年あり、その間に制度の立ち上げに苦労した第一世代は、それなりに使命感に燃えて制度の目的をよく理解していた職員が多かった。ところがこの世代が人事異動でいなくなると、後に来るのはそれまで水道や税金の担当者だったりするわけである。この福祉についての素人職員を適切に研修する仕組みがないし、申し送りも不確実だ。また、課長級や部長級の場合も同じことである。特に以前に福祉担当者であった職員がその経験と考え方をもって幹部職員となると、しばしば「行政裁量による措置制度」と国の指導待ちの「通達準拠主義」に舞戻ってしまう。

このような官僚制の復元力をコントロールすることを考えないと、行政改革はシジフォスの神話から抜け出せない。問題が深刻なのは、自治体の人事当局や財政当局などや、なにより首長にこのような課題意識が薄いことである。新しい自治体へのニーズに対応できない旧態依然とした人事観の上に、経営学的な成果主義の人事評価制度を採用したりすると最悪である。

 

ソーシャルワーカーとしての行政機能の確立

 この専門性の担い手の具体的なモデルは、児童相談所の児童福祉司であり、市町村の保健師である。これらは、専門職という枠をもちながら、それを超えて全体としてのクライアントと接する能力(カウンセラーとしての能力やアセスメントする能力、スーパーバイザー(指導する者)としての能力など)を持ち、職権での保護や措置入院を実施する仕事を、チームとして果断に実施することができる専門職員が想定される。その意味では、言葉の真の意味で「ソーシャルワーカー」ということができる。

 ソーシャルワーカーとは、わが国の場合は、福祉の現場(社会福祉事務所、病院のMSW部門、これから地域包括支援センター、在宅介護支援センター、児童相談所、市町村保健センターなど)で利用者の相談に乗ったり、介護サービスのプランを作ったり、あるいは虐待されている子どもの保護にあたったりする職種を指すが、法的には明確ではない。国家資格としては社会福祉士が近い。一応、国際ソーシャルワーカー連盟の自己定義を見ると次のようになっている。

 「ソーシャルワーカー専門職は、人間の福利(well-being)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題の解決を図り、人々のエンパワーメントと解放を促していく。ソーシャルワーカーは、人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人々がその環境と相互に影響し合う接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークのより所とする基盤である。」(注3)

 これでは良く解らないかもしれないが、言い換えると、ソーシャルワーカーとは「人々がその生活上の問題を、自ら解決していくことを支援し、適切に介入することで、社会を変革する。そのことを通じて人権を確立し人間の福利を増進させる」のである。

 これを行政の仕事として敷衍して考えると「人々の関係(家族、隣人、雇用被雇用、賃貸借など)を調整する法的権限をもち、それを背景としながら、人々が自ら問題を解決するよう介入し、相談し、助力し、仲介するなどしつつ、人権と公正さ、公平性などの価値が実現するよう働きかける」機能である。

 

公共政策の担い手としての住民

 以上の行政に求められる変化と共に、住民にとっても、自らが「新しい公共政策」の担い手となり、地域政策の主体となることが求められる。

 例えば2000年に改正された社会福祉法において位置づけられ、2003年から関連条文が施行されている「地域福祉計画」も、福祉的課題を解決するべく「小規模化して孤立した家族」を支援することが中心的な課題である。この市町村「地域福祉計画」の特色はその策定について、「住民参加」を不可欠なものとしていることである。というより、住民が主体となって地域福祉計画を策定し、その地域福祉計画を推進する主体ともなる、これが法の建前である。実際には、「行政計画」であるからとして、計画策定過程での委員会やワークショップへの参加、パブリック・コメントの募集など、住民の意見が何らかの形で「反映される」にとどまる例が多いのが現状だが。

しかし,この地域福祉計画の中心的な問題は、地域での高齢者や障害者の生活を支えるボランタリーな組織の確立であることは明瞭である。それは地域社会福祉協議会の再編や自治会や町内会、民生委員の機能の活性化と、ボタンティアやNPO団体との協働と、諸専門機関の連携とを組み合わせたものとなりつつある。われわれは奈良県や大阪府の複数の市町村の「地域福祉計画」策定の作業に参加する中で、ボランタリーに活動している多くの市民が、この計画策定と推進に自発的かつ積極的に加わっていることが確認できたと思っている。

 

地域の定義

 この場合の地域とは、普通は小学校区を指す。あるいは中学校区の場合もある。「小学校区」とは、小学校一年生が歩いて通える範囲であり、高齢者にとっても日常の買い物など生活の圏域として、もっとも関係が濃い地域だからである。

 また064月から施行されている介護保険制度の改革においても、ひとつの中心は、「生活圏域」を設定し、そのなかで介護サービス給付の大部分が利用できるよう諸施策を整備するという発想にたっている。「生活圏域」をどのように定義するかは、市町村の選択にまかされているが、概ね従来の「地域在宅介護支援センター」の圏域として想定される「中学校区」が想定されている。このような圏域の設定と、そこにおける公共サービスの品揃え、サービス提供者のネットワーク、そして市民の情報・活動の調整と交流の広場としての拠点の構築が実現すれば大きな意味を持っている。

もうひとつは、もっと狭い「地域社会」も考えられている。それは「近隣社会」であり、わが国の場合は、字(アザ)単位や、区あるいは斑といったまとまりである。つまり生活のスケールを観察すると町内会や自治会というひろがりやまとまりよりさらに狭域の社会的なまとまりに基礎があることがわかる。そのような狭域の地域で見ると、「単独の高齢者世帯」と共に、「高齢者のみ世帯」、「障害者を抱えた世帯」「孤独に子育て中の母親」が大きな問題を抱えていることが見えてくる。このような個々の家族や単身者がそれとしては対処が難しい生活上の困難を、近隣の住民が支える仕組みとして「地域福祉計画」が策定され、実施されることが必要だと考えられる。これらの高齢者や障害者、子育て家族の買い物や通院の支援、ゴミだし、デイサービスや骨折予防教室への送迎、家屋や設備の簡単な修理、災害時の情報伝達や避難活動への支援、話し相手、介護や病気の相談、ショートステイ、直接の介護や育児支援など。

 このような「地域福祉計画」を市民の側から提案しようという運動が、埼玉県のNPO法人「さいたまNPOセンター」(理事に堀越栄子日本女子大学教員ら)とそのプロジェクト「埼玉県地域福祉計画立ち上げ隊プロジェクト」によって02年から取り組まれた。この一年間の取り組みで「7つのだんだんわかってきたこと」が挙げられている(注4)。

1、これまでの福祉とはちがうんだ。くらしの視点から地域を見直すことなんだ。

2、地域福祉計画策定はきっかけのひとつでいい。大切なのは、私たちがまちに関わる姿勢だ。

3、バラバラでは力が発揮できない。地域をつなぐ「人」と「場」が必要なんだ。

4、多様な個人が集うからおもしろい。市民主体の会議づくりが苦労のしどころのようだ。

5、市民と行政がパートナーとして手をとりあうには、まず「お互いに認め合う」ことからはじめる。

6、地域福祉を本気で実現しようとしたら、縦割り行政を横につながないとダメじゃない?

7、わたしたちは、まず自分たちの地域からはじめます。

 ここには、これからの地域社会をつくる市民の活動のあり方が、ほぼでそろっている。

 

地域就労支援事業の場合とコミュニティ・ビジネス

 2000年の4月から地方分権一括法が施行されたが、それに前後していくつかの重要な個別法改正、あるいは新法設置が行われている。そのひとつに、職安法の改正がある。03年の6月の改正によって、都道府県や市町村も、厚生労働大臣への届出によって「無料職業紹介事業」を国のハローワークとならんで行うことができるようになった。既に大阪府の和泉市、大阪市などで始められている。ここでの「地域」はとりあえず「市町村」という範域となる。もちろん、人口10万程度の規模の都市が適合的で、政令指定都市であれば各行政区を地域政府化したような分権化が求められる。

 和泉市の場合は、高齢者や障害者、被差別部落出身者や母子家庭の母親など、就業するのにハンディキャップのある人々への支援事業として無料職業紹介事業を行っている。これらの就労困難者は、相談事業に応じたりする場合にも移動する上での制約があり、必然的に狭域での、大きくても市町村程度の範囲でそのニーズに応えるような仕組みが求められる。また就労先も自ずから、市町村の域内か、近隣市町村が望ましいことになる。

 この場合、「雇用」にこだわらない。だから「就労」なのである。NPOなどやコミュミティビジネス、それにワーカーズコレクティブのような、自営業に似た形態での働く場の紹介や開拓も行うわけである。大阪府の場合は、「ポスト同和事業」を模索する中から、「大阪知的障害者雇用促進建物サービス事業協同組合(エル・チャレンジ)」が1999年に組織されたことが大きい。この流れの中で座り込み闘争などを経、委託事業のダンピングを阻止するための入札制度として、大阪市・大阪府との「総合評価一般競争入札制度」の導入に道を開いている。

なお、コミュニティ・ビジネスは、「人間性の回復と自律型の地域社会づくり」を目指すとされている(注5)。すなわち「これまでの大量生産、大量消費、経済成長重視という社会的経済構造から、これからのリユース、リサイクル重視、地域コミュニティをベースにする等身大の社会経済構造へと大きな変身が期待される。」(細内「同書」47頁)

 また、内田雄三の「地域再生とまちづくり・むらおこし――コミュニティワークの活用に向けて」(月刊自治研19992月号)と、同じ号の北尾邦伸「農山村部の地域再生――地域資源の循環的利用と雇用創出」および、高木郁郎「雇用・就業を軸とした地域社会政策の展開」も参照されたい。なお、北尾のように、エネルギーや環境問題の解決を考えるときに対象となる「地域」は、またことなった意味を持つ。それは「循環型経済と生活の場としての地域」である。この「地域」も基本的な重要さを持つものだが、「地域社会」をこの側面をも包括してとらえることもこれからの課題である。(注6)

 さらに、04年秋の『現代の理論』創刊号の大澤真知子論文、「経済のグローバル化と新たな市民社会への動き」も同じ課題を扱っており(注7)、「新たな市民社会の形成」という問題意識を共有していると考えている。特に90年代を「失われた10年」ではなく、「市民社会の基盤をつくる10年」と捉える点ではわれわれと一致している。情報公開法とNPO法の成立のほか、論点として付け加えるとすれば、「地方分権改革」と「地域自治組織の具体化」がある位である。

 

再生するべき地域社会?

 ところで、「地域社会の再生」というが、ではわが国の場合、これまでの「地域社会」とはなんだったのか。これまでの地域社会が崩壊した、という認識は共通しているのだろうか。これまでの地域社会があったとして、その地域社会のなにが崩壊したのだろうか。再生すべき地域社会は、これまでの地域社会を単に再生すればよいのか。もし再生することが望ましいとしたらどのような内容をもった地域社会を望むのかということが問題である。

 再生すべき地域社会がなかったのではないか、という指摘もある。特に郊外への大型店の出店をひとつの契機として生じた中心市街地の衰退を、規制の強化で図ろうとする動きに批判的な視点から、商店街の活性化の具体的あり方を提案する中沢孝夫の主張が一貫している。

 「もともと経済学の諸原理や市場というものが、社会的な利益と私的利益とを一致させたりバランスをとらせたりすることはないのだ。というより、地域社会と個人や社会的利益というもののバランスをとるためには、そこに個々人の市民としての使命感とか、生き方といったものが媒介されなければならない。

 たとえば、市民が自らのまち・地域に愛着を持つかどうかは、個々の市民がどれだけ地域の環境をつくることに関わっているかによって決まってくる。高畠町(注8)の人々はたぶん地域に愛着をもつようになってくるだろう。自分の家の庭を大切にするように中央通を大切にするはずである。前橋市もそうだ。中央通商店街の一角の公園に、芝生や花を植えることに汗を流した子どもたちやお母さんたちは、中央通商店街に思い出や愛着を持つはずだ。

 まったく残念なことだが、成田空港から都心に向かうとき、日本の雑然とした市街地に憂鬱となる。「私たちはまちづくりをしてこなかった」と思わざるをえないのだ。商業地にしても同様である。一部の観光地は別として「壊したくない地域」をどれだけ私たち日本人は育ててきただろう。

 まちおこしとして全国的にいまやビッグネームとなっている滋賀県・長浜市を代表例として、どこのまちおこしも、基礎となっているのは歴史であり、伝統である。長浜市も旧街道と古い町を象徴する黒壁の旧銀行の建物の再開発からはじまっているが、そこに守り育てるに価する「大切なもの」があるかどうかということと、それを再発見する人々の熱意とが成功の決め手であるといってよい。」(注9)

 

人間関係としての地域社会と「景観」

制度的に創られた地域社会ではなく、人々が寄り集まることで自然的に形成された地域社会をコミュニティというとすると、そういった「地域社会」は常に存在することになる。しかし、「再生すべき」「地域社会」ということになると、なんらかの要件を実現すべきものとして具備した「コミュニティ」を再生または創出するということになる。

すなわち、「再生すべき地域社会」とは、「そこにおいて再生が期待される人間関係、社会関係」のことを意味する。やや敷衍すれば、「新たな市民社会」の内実をどのように考え、いかにして形成するかという問題となる。

また「再生すべき地域社会」とは、その「地域社会」が、そこに住み、生活する人々の愛着や思い出につながる舞台となる「景観」や「環境」に包み込まれたものだ。その「景観」や「環境」は、人々の「生活のスタイル」を包み込んでいるという意味で、人々のつくる「人間関係」のぬくもりや充実感を「象徴する」こととなる、そういう「景観」であり「環境」である。

田村明が指摘していることも同じことだ。「景観は歴史的存在であると同時に、現在の社会の状態をそのまま反映している。社会状態が全体主義的であれば、硬直的な姿になるだろうし、人間性を大切にしている社会では、潤いのある楽しげな景観になるだろう。景観は主として視覚に反映する社会の縮図だと言えるかもしれない。また時間の継続の上に経つ景観は都市の歴史を反映するはずだが、それをどれだけ生かしていけるかは、都市景観でおおよそ分かる。」(注10)

その代表例は由布院盆地だろう。中谷健太郎と溝口薫平という卓越した実践的リーダーとともに、由布院らしいまちづくりと「癒しの里」をつくってきたこの盆地に暮らす人々の心の内にある景観の中心は、町の東北に聳え、別府温泉と盆地を隔てる独立峰である由布岳(1548m)である。バブル期にできたリゾート法の対象にこの由布院が挙げられ、高層マンションや大型ホテルの開発計画が殺到した。全部完成すると当時の湯布院町の人口は2倍に膨張すると予測された。この開発の波を食い止めたのが1990年に町が制定した「潤いのある町づくり条例」である。 

この条例は、成長管理の考え方を取り入れ、当時の建築基準法の規制する領域の外から条例で開発行為を規制しようとした。その中心的なコンセプトが「由布岳が見える」「由布岳の景観をそこなわない」建築物の高さ規制である。「条例では、制限を強化するのではなく」、「成長を管理する」という姿勢が見られる。成長、その目安は由布岳の眺望を壊さないということだ。高さが10メートルを超えて建設される建物や、千平米を超える宅地の造成などは、開発に際して、近隣関係者に告知し、説明会などを開き、十分な理解を得ることを義務付けている。」(注11)

この由布岳の眺望を守ることが、「由布院らしさ」を守ることを象徴する。「由布院らしさ」とは、2000年に由布院観光総合事務所が作成した「ゆふいん建築・環境デザインガイドブック」にその一例を見る。「ものを作るにあたっての9つの心得」として示されているのは、次のとおり。(木谷同前書、181頁)

「原則1 こじんまりしたたたずまいをつくる。

  心得1 盆地の程よい大きさを大切にし、小振りなつくりとする

  心得2 人の尺度を中心に、細やかな配慮をこころがける

  心得3 周囲との調和を大切にし、控えめにつくる

 原則2 内と外との係わり合いを大切にしていく

  心得4 通りに対して堅く閉ざさないつくりとする

  心得5 豊かで多様な自然を。暮らしの中に取り込む工夫をする

  心得6 まちゆく人をもてなす空間を、あちこちに用意しておく

 原則3 自然風合いを大切にしていく

  心得7 ゆふいん固有の素材感や風合いを大切にする

  心得8 豊かな杜の緑を引き入れ、敷地の周りを囲い込む

  心得9 安全で安心な、かたちや素材を大切にする」

 

なお、2005101日に湯布院町は庄内町、狭間町と合併して由布市(人口36700人)となっている。「潤いのある町づくり条例」は、当面、旧湯布院町の区域で存続することとなった。

 

これまでの地域社会のスケッチ(1)農村部

以上のような観点から、どのような地域社会があったか、そこでの人間関係のうち、なにが失われたのかという点をざっと概観しておきたい。

 昭和30年代半ば(つまり1960年ごろ)までの日本の農村部のコミュニティは、水田地帯にしろ畑作地帯にしろ、その基礎は土地所有とその管理、および水の管理の上に成立していたといってもよい。それは里道や畦畔(リドウやケイハン)の清掃や補修作業などの協働労働をともなった。これらは「道普請」という「賦役」でもあり、それが入会地などの総有形態の土地の共同利用の基礎を形づくってもいたといえる。

(なお、近代経済学のエコノミスト(G・ハーディン)が指摘し、近代的所有の、あるいは資本制的な自然支配を合理化するために利用される「コモンズの悲劇論」の「コモンズ」とは、この共有地ないし総有地と同じ意味だが、わが国の場合は村落共同体内部および共同体間の管理機構(共同体規制や争訟の仕組み)が比較的強く働いてきたためか、「コモンズの悲劇」のような「過剰な利用による荒廃」という現象はほとんど生じてこなかったようである。むしろ「コモンズ」的な人間と自然との関係の見直しこそ、エコロジカルな経済にとって重要な視点であると指摘されている。)(注12))

 これに、農業や漁業という生業に結びつき、あるいは誕生や成長などの人生のライフサイクルごとの祝い事と関連する、ムラの神社の祭りや寺の法事とその講がその村落コミュニティを形成する大きな要因となっていた。現在でも、祭りを中心とし、また消防団など自主防災組織を中心とした紐帯が強く残る地域が少なくない。漁の分配や初物のおすそ分けのような「贈与」のやりとりも結構ある。それは生産と消費、イエという生活の単位の再生産とを統合する共同体としてのコミュニティという色彩が強かったのではないか。

 ここでは「支配」の関係は薄く、むしろコミュニティの構成員が、順繰りに役を担うという形をとるために、「ユイ」に代表される手間替え、すなわち「連帯」や「協働」の契機のほうが強い。長老はいるが、それは尊重されるべき先達として敬われるのであって、支配するわけではない。もめごとの裁定者にはなるだろうが。

もっとも、このコミュニティの主たる担い手は、少なくも明治以後の近代においては成年男子の家長だとされてきた。この点は、ムラ社会の束縛や抑圧として何時の時代にも若者や女性に対してはあらわれた。またこの村落コミュニティ内外の「本百姓」以外の被差別部落民などへの根強い差別を伴なったことも留意すべき点である。

「ふるさとは遠くにありて想うもの。よしや異土の乞食なるとても帰るところにあるまじや」と歌った室生犀星の感傷が、多くの共感を得てきたことも重要な事実である

とはいえ、特に1980年代の「地方の時代」以来、このような地域社会が、地域活性化のためにうまく活動している場合もある。というより、このようなコミュニティの紐帯を生かす形での地域活性化も取り組まれている。

一方で、ある「イエ」が、経済的にあるいは家庭的に困難に陥ったとき、この地域社会はどのように振舞ったか。相互扶助組織として有効に機能しただろうか。二宮金次郎の仕事を描いた守田志郎の叙述(注13)にあるような、村落としての扶養や助力もあっただろうが、それは今考えられるような扶助組織とはかなり様子が違うようでもある。

このような地域社会は、先にも触れたように、なお水田農村地帯中心に色濃く残っている。消防団が水防にもあたり、祭りの警備にも出動する。自主防災の組織にもなる。しかし、若者の大都市への流出とサラリーマン化が進み、農業や漁業の後継者が居なくなる。現在50台以上の親の世代は、子どもがむしろそのような生活を選択することを望む。地域に子どもを繋ぎとめるということに熱心ではない。(今教えている学生の中には親の面倒を見なければという意識の子も居ることは居るが、農業を継ぐということとは別である。おおむね役場志向である。)

 そして高齢化が進み、冠婚葬祭の担い手がいなくなり、茅葺屋根の修繕が出来なくなる。これらの「限界集落」(大野晃高知大学名誉教授が91年に提唱した概念で65歳以上の人口が50%を超える集落)の今後のあり方は、そこに住み続ける人をどうささえ切るかという重い課題をつきつけている。

 

これまでの地域社会のスケッチ(2)都市部の場合

 都市部の地域コミュニティを成立させていたのは、幕藩体制のもとでは、第一にはそれぞれの職人仲間などの同職集団であろう。それに、治安や防火などの町衆のまとまりがあった。一方では、明治以後特に大正期からの近代の都市にあっては、都市のコミュニティ組織はそれほどはっきりしていないように感じられる。町内会や自治会は1940年の町内会の制度化によって法制上の形をとったが、それは回覧板組織と隣組であり防空組織や配給組織としてまず縦の管理組織として、上から把握され、情報は垂直に流れていたと思われるものであった。

 古い城下町や寺院都市などは、それぞれに地域コミュニティを発達させ、維持してきた。明治以降になってからは、小学校の設立とその維持管理が地域コミュニティの大きな仕事となった。京都市の場合、1873(明治5)年の学制発布以前から町衆が学区という自治組織をつくり、それによって小学校を設立する形をとったから、自治組織が先にあり、それによって小学校ができている。したがって、小学校が廃校となっても「自治組織としての学区」は存続する。

 1990年代の地域福祉の一つのモデルとされる、京都市上京区の「春日学区」がそのかたちをよく残している。春日小学校は廃校になっているが建物は残り、その建物も一つの拠点として、春日学区という強固な相互扶助、共助組織が活発に活動している。(注14)

 治安や防災のための地域コミュミティのほか、古い都市で見られるのは、祇園会などを担う町組である。京都の山鉾はこのような町組という地域コミュニティによって支えられてきた。博多山笠などもそのような町衆の地域コミュニティによって担われてきた。それは祭りの担い手としてのアソシエーション的なコミュニティであり、しばしば排他的ともなる。京都祇園祭の山矛巡行の先頭に立つ「なぎなた鉾」は依然として女人禁制を守る。とはいえ、これも中に入れば「平等」で、組仲間というかたちである。

 岸和田市の「だんじり」の場合は、この祭りへの参加がひとつの契機となって、中心市街地の衰退が目立たない。むしろ活況を維持している。「祭り共同体」が地域社会を構成し、維持しているのである。

 いずれにしても、近代のわが国の都市においては、ヨーロッパのように世俗の王の権力や教会権力から相対的に自立し、ある程度制度化されたコミュニティあるいはアソシエーションはあまり見えてこない。むしろ目に付くのは、各種の講である。特に頼母子講や無尽講という庶民金融の仲間が発達していた。現在でも宮崎県の都城や広島県の「過疎を逆手に取る会」などの地域活性化グループやまちづくり団体が活用してきたのがこの頼母子講である。都城などでは、一人が5つや6つの講に加入し、活動している。高校や中学の同窓生による講、同業者による講、飲み屋の常連の講、など。

 いずれにしても、農村部と異なって都市部の地域コミュニティについては余り研究されてこなかったようである。被差別部落の場合は、前記の内田雄三や若竹まちづくり研究所による北九州市北方地区などの報告が重要である。

とはいえ、地域社会が崩壊したという場合の崩壊した「地域社会の機能」とは、相互扶助組織としてのそれであることは明瞭だろう。それと「安心と安全」と見回りこそが、都市部における地域コミュニティが担ってきたもののようだ。

 戦後の都市部における地域コミュニティは、団地の自治会や分譲住宅やマンションの管理組合がひとつの典型となる。管理組合はその住宅としての価値を保全するために、自治的な議論を通じた地域の物的な管理を行っている。数年おきの大規模修繕、駐車場の管理や植栽の剪定や植え替え。光ケーブル導入など通信環境の整備など。ただし、相互扶助組織としては未整備な場合が多く、生活を支援する仕組みとしては、居住者の高齢化にともなって、現在進化しつつあるというところであろう。その点では、団地の地域社会は、遅ればせながらいま新しい形を展開しようとしているともいえる。団塊の世代が企業社会から地域に戻る、その戻り方に期待を掛けたい。地域福祉や文化の担い手として。

 

自治の伝統の違いを認めて(1)

   ヘルシャフトとゲノッセンシャフト

 ところで地域社会の自治のあり方として、わが国の場合はどの程度の歴史的な伝統があり、それを現代に生かすことは可能であろうか、という問題もある。地域自治の範型、モデルとされるヨーロッパと我が国との違いを考えておくことが、これからの我が国の地域社会の可能性を考える場合、重要だとおもうからである。これからの我が国の地域社会を、「新しい市民社会」のひとつの基盤として構想したとき、ヨーロッパの経験と論理をどのように生かすかが問われるのである。

ヨーロッパ社会の場合は、中世以来の地方自治団体(Gemeindenとより高次の地方自治団体=イギリスのカウンティ、旧ブランデンブルグ=プロイセンのクライス、ハンガリーのコミタートなど)の伝統が、なお現代の都市やムラ(ドルフやコンミューン)の自治の内実に継承されていると観測される。このような都市レベル、コンミューンレベルの自治に支えられて、EUすなわちヨーロッパ連合のようなトランス・ナショナルな、すなわち超国家的な連合も可能になっていると思われるのである。これはヨーロッパ自治憲章の「補完性の原理」の実現形態でもある。

わが国の場合、16世紀の堺の都市自治や南北朝時代からの惣村、あるいは山城国一揆などの国人衆による「自治」も見ることができるが、それらをも貫く自治の、民衆的な経験を理念化して引き継ぐ作業も必要かもしれない。沖浦和光や網野善彦の一連の日本歴史の読み直し作業がこれからの社会(国家と地域社会)の見取り図を形づくることにもなるのではないか。とはいいながら、わが国の場合は、少なくも1516世紀にまで遡る民衆的な、あるいは特権的な「自治団体」は、領主権力と相対的に区別された横の「連帯」組織としては顕著には見られないと言ってよかろう。ヨーロッパ的な意味における「横の組織」は、あったとしてももっと非定型なものであった可能性がある。

そういった観点から、壮大な展望を示した作業に、1976年に「地域主義研究集談会」を組織して「地域主義」を定着させた経済学説史研究家であった玉野井芳郎の仕事がある。例えば次のような指摘がある。

「すでにわれわれは、古代・封建・資本主義といった18世紀的な歴史の三分法の図式を超えたところで問題を考えていることを知らなければならない。ヨーロッパでは11,12世紀を境にそれ以降になると、土地所有の仕方とはひとまずかかわりなしに、荘園支配とは異なる次元で、裁判権や軍事力によって領域を一円的に支配する<領域支配国家>が登場してくる。それと同時に、そうした領邦国家内に<身分―議会制>があちこちにあらわれてくる。ここではヘルシャフトリッヒな主従関係よりもゲノッセンシャフトリッヒな横の結合関係が特権的な<諸身分>によって主張されることになる。

「ゲノッセンシャフトとは、ヘルシャフト(支配)に対抗する形をとりつつ、成員の意識で横に結ばれた団体形成を総称するものといってよいだろう。点と線ではなく、面を原理とする組織の世界といえる。重要な点は、このゲノッセンシャフトが12,13世紀以来の西ヨーロッパ社会に特有な組織原理としてあらわれていることである。」(注15)

 「ここまできたわれわれがもう一度確認しておきたいことは、<組織>の構成単位が、経済理論やシステム論において最終単位とみなされる<主体>や<ユニット>といった原子論的な個人よりなるときは、<組織>におけるヘルシャフト原理が一面的に誤って絶対化され、ゲノッセンシャフトというもう一つの原理の基盤となる単位が見失われてしまうということである。(これはウェーバーの誤りでもあったという。)そして後者の原理を発見してその単位を<組織>内に復位させるためには、<主体>や<ユニット>といった抽象的な市場空間の論理的概念ではなくて、何らかの意味のある地域空間の概念、したがってたとえば11,12世紀以降の西ヨーロッパ、それも西ヨーロッパ内部の地域的な差異をあらわすような歴史的な類型概念がそこに設定されなければならないということである。」(注16)

ここで確認しておきたいのは、社会編成の原理として、ヘルシャフト(支配)原理とゲノッセンシャフト的な原理(連帯)があり、それがヨーロッパ世界で特に顕著に見られたという事実である。ただし、資本主義社会においては、玉野井によればウェーバーの誤解やアダム・スミス以来の経済学者の短見もあって、このゲノッセンシャフト的な社会編成原理が無視されるような傾向にあると指摘されている。そのために、人々は具体的な生活者の観点を失い勝ちになる。いわば交換価値の獲得と最大化こそが最も大きな意味を持ち、そのために無限に続く価値増殖過程を追う資本の運動が社会を覆うことになる。

われわれが注目すべきなのは、現実の社会組織はこの二つの原理で構成されており、その単位は前者が抽象的な個人であるのに対して、後者がなんらかの地域的な自治団体であるという点である。生活者の具体的なニーズに応え、いわば公共的なサービスのような使用価値的なニーズに応答するためには、このゲノッセンシャフトリッヒな連帯の、相互扶助や助け合いの仕組みこそが、復位されなければならない、ということが重要である。

ただ、わが国の場合、歴史的には、ヨーロッパほどゲノッセンシャフト的な社会組織が発達してこなかったのだとすると、どのような基盤の上に社会的連帯という人間的なつながりを形成しうるか、それが大きな課題だということができる。

先回りして言えば、それはボランタリーな市民活動を、どのように定着させるかという問題である。自律的で自発的な市民による活動を展開することを、各種のファンドや労働組合の活動、行政による支援政策がいかに支援できるか、それこそがこれからの主題だと言える。

 

自治の伝統の違いを認めて(2)

アメリカの地方自治

 1835年と1840年にフランスで出版されたアレクシス・トックビルの『アメリカの民主政治』でニューイングランドの人民主権と民主主義の特徴を次のように示している。

「他のあらゆる所においてと同様に共同体(タウンシップ、人口23千人)では、人民が社会力の源泉である。けれども、共同体におけるほどに人民がその権力を直接的に行使している所は、他のどこにもない。アメリカでは人民が主人であり、この主人に対してはできるだけ主人の気にいることがなされねばならないのである。

ニュー・イングランドでは、州の一般的事務を取り扱わなければならないときには、代表者たちが多数者として行動する。州ではそうすることが必要であった。けれども共同体(タウンシップ)では、代表の法則は認められていない。共同体では立法的並びに政治的行動は、被支配者たちに、より一層近づけられているのである。共同体には共同体の議会というものはない。選挙人団は、共同体の役人を任命した後、州法律の純粋単純な執行以外のすべてのことで役人達を自ら指導する。」(注17)

ここに見られるように、アメリカの地域共同体の民主政治の特色は、その「直接民主主義」である。ここではニューイングランドのタウンミーティングが示されているが、ここに見られる代表を認めない直接民主主義の精神は、現在でもアメリカの地方自治の特色である。市民による直接立法である「イニシアティブ」や、議会が決定した税制改正などの条例を住民投票に付す「レフェレンダム」は、人民主権の表現形態のひとつである。(注18)

もうひとつのアメリカの政治システムの特徴は、「非営利セクター」の大きな存在であり、政府に依存しない市民のボランタリズムの活発さである。むしろ、ボランタリーな市民活動や寄付の上に、それではカバーできない社会的ニーズを取り扱うものとして政府がある、というのがアメリカ社会の特徴といえる(政府の失敗から非営利セクターが生まれるのではなく、ボランタリズムの失敗から政府が生まれるとするサラモン等の指摘がある)。

そのためにこれら非営利セクター(カーネギーや最近ではビル・ゲイツ夫妻の財団、社団、ハーバート大学やスタンフォード大学などの大学ファンド、メトロポリタン美術館を支えるファンド、百万単位のNPOおよびNGO、協同組合、労働組合、など)に対する寄付には原則課税されない。つまり所得再分配を税と政府に依存する仕組みを取る国と、直接に寄付者が再分配に携わることをよしとするアメリカとの違いがある。

このことは、しかし、1980年代まではそれほど注目されていなかった。この「非営利セクター」の大きな存在とその機能を指摘しのが、詳細な実証研究を基礎にしたジョン・ホプキンス大学のレスター・サラモンであり、1992年出版の『米国の「非営利セクター」入門』であった。(注19)この著作で米国でも、NPOの台頭は、20世紀の終わりの20年ほどだとも指摘されている。

そしてこの「非営利セクター」への期待は大きくなる傾向がある。企業という組織や政府という組織の失敗を克服して都市コミュニティを創る新しい組織としてNPOがある、というのがアメリカ経営学の創始者ともいえるP・F・ドラッカーの主張である。

「人はコミュニティを必要とする。建設的な目的をもつコミュニティが存在しないとき、破滅的で残酷なコミュニティが生まれる。ヴィクトリア朝のイングランドの都市がそうだった。今日のアメリカ、そして世界中の大都市がそうである。そこでは無法が幅をきかす。

人がコミュニティを必要とすることを最初に指摘したのが、フェルディナンド・テニエスの最高の古典『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(コミュニティと社会)』(1887年)だった。しかし、テニエスのいう有機的な存在としてのコミュニティは、いまはどこにもない。回復してもいない。

したがって、今日われわれに課された課題は、都市社会にかつて一度も存在したことがないコミュニティを創造することである。それはかつてのコミュニティとは異なり、自由で任意のものでなければならない。

第二次大戦の終結以降、民主国家、独裁国家いずれにおいても、都市社会の問題は政府が解決すべきであり、政府が解決できるものと信じられてきた。今日では、これがまったくの幻想だったことが明らかになっている。この50年間に実施された社会的プログラムのほとんどが失敗した。

しかし、企業という名の民間セクターが、それらの(都市社会の)ニーズに応えられないことも明らかである。知識社会においては、企業は生計の資を得る場所でではあっても、生活と人生を築く場所ではありえないからである。

ここにおいて、社会セクター、すなわち非政府であり非営利であるNPOだけが、今日必要とされている市民にとってのコミュニティ、特に先進社会の中核となりつつある高度の教育を受けた知識労働者にとってのコミュニティを創造することができる。」(注20)

なおイギリスの場合も、福祉国家を最初に建設した国だが、中央と地方の政府と共に、非営利のボランタリーセクターが大きな社会的任務を担っている。高齢者の地域生活を支えている「エイジ・コンサーン」、歴史遺産を管理しつつ自然保護を担う「ナショナル・トラスト」、18万以上のチャリティ法による「チャリティ団体」、パブリック・フットパスを管理する「ランブラーズ・アソシエーション」(注21)、そして街角の「パブ」などが、イギリスの地域コミュニティの基盤を作っているといってよい。

 

コミュニティとアソシエーション

 ところで、地域社会を構成している自治的な組織にも、二通りの組織原理がある。今までの議論でははっきり区別してこなかったが、それは、「コミュニティ」と「アソシエーション」であるる。この地域社会を構成する二つの組織を、明確に析出したのが1917年のR.マッキーバー『コミュニティ』である。「ある領域がコミュニティの名に値するには、それより広い領域からそれが何ほどか区別されなければならず、共同生活はその領域の境界が何らかの意味をもついくつかの独自の特徴をもっている。コミュニティは、社会生活の、つまり社会的存在の共同生活の焦点であるが、アソシエーションは、ある共通の関心または諸関心の追及のために明確に設立された社会生活の組織体である。アソシエーションは部分的であり、コミュニティは統合的である。ひとつのアソシエーションの成員は、多くの他の違ったアソシエーションの成員になることができる。コミュニティ内には幾多のアソシエーションが存在し得るばかりではなく、敵対的なアソシエーションさえ存在できる。しかしコミュニティはどの最大のアソシエーションよりも広く自由なものである。それはアソシエーションがそこから出現し、アソシエーションがそこに整除されるとしても、アソシエーションでは完全に充足されないもっと重大な共同生活なのである。」(注22) ここで指摘されていることは、第一に、コミュニティは統合的であるのに対して、アソシエーションはある関心に沿って組織されることである。第二は、コミュニティはある領域を持った共同生活そのものである。さらにやや拡張して言えば、アソシエーションはある特定の具体的な問題を解決するために、自発的に同志的に集まった人々の集まりである。

一方のコミュニティは、そこに居る事でそのコミュニティに属することになる、いわば、他律的にもメンバーたりうる。

 ところでこのようなアソシエーションこそが、「可能性としてのコミュニズム」だという指摘がある。柄谷行人は、「『可能なるコミュニズム』は、マルクスが言ったように、生産=消費協同組合のグローバルなアソシエーションにしかない。しかし、それはつねに諸資本に囲いこまれており、実現は困難である。そこに至る道筋において、資本と国家に対抗する運動はいかにして可能か」としている(注23)。その実験として西部忠の紹介するエコマネーであるLETSに注目している。

 

歌の結社とアソシエーション

またわれわれは次のような経験も持っている。「歌の結社とアソシエーション」と名づけて以前に書いたものに若干の手を入れて紹介しておきたい。

『姥盛り花の旅笠』は田辺聖子さんの作品だ。時は天保12年(1841年)。現在の北九州は中間市で盛業を営んでいた商家の50過ぎの妻女である小田宅子と芦屋町の桑原久子が、仲間の女性たち2人と手代一人合計5人で大阪、奈良、伊勢神宮、善光寺、日光からお江戸まで旅した短歌の紀行文を再構成したもの。5ヶ月、3200キロにわたる大旅行である。この『姥盛り』で驚くことはいくつもある。ひとつは、江戸時代の女性たちが、大きな経済的なそして社会的な実力とそれを使う自由をもっていて、女たちだけの歌詠みツアーを企画実行していることである。(注24)

そして、特に注目したいのはこのような旅行を可能にした社会的基盤として、歌詠みのグループがあったという点である。ここの場合は、宅子の師である歌人にして、国学者かつ神官でもある伊藤常足先生の周りに多くの門人や同業の士がいて、そのネットワークが、このような旅を可能にしているのだ。ここには気のあった友人たち、すなわち「同好の人」という人の輪が形成されている。それがこの歌人「結社」の意味である。

このような「結社」が、幕藩体制のもとにあって、各藩に相当数形成されていたにちがいない。これが、幕末期に国学(歌とともに)の地方伝播の基盤ともなり、「諸士横議」の場ともなったと十分に想像できる。それは同時に藩学校や寺子屋などの、教育機関のありようとも関連していたように思われる。

この「結社」は、アメリカの社会学者マッキーバー流に言えばアソシエーションに他ならない。アソシエーション(協会)とは、同じ目的を実現するために、自ら規約を作り、個人が自由に取り結ぶ組織である。各種のサークルや同人、結社、あるいはキリスト教の宗派(ゼクテ)などや、NPOなどはここにいうアソシエーションである。このアソシエーションを構成するのは、少数の確信をもった、あるいはひとつのことに特に関心を持った人々という意味で、「エリート」である。いわば対自的である。

これとならんで、たとえばその地域に居住し生活するという属性によって、それに属するものとして位置づけられ、一定の感性的な一体性を共有し、同時に形式的には自由な意思によって結ばれている組織はコミュニティ(地域コミュニティ)となずけられる。家族や企業、大学、国、さらにヨーロッパ連合などもコミュニティであり、ユダヤ人コミュニティや若者コミュニティなどもある。コミュニティを構成する人々は、あらゆるタイプの居住者を包含するから、必然的に「大衆的」である。そして即自的である。

コミュニティは、生活世界を包む包括的な共同社会の円滑な維持という性格上、一定の方向性をもって自らを新しい状況に対応させるには時間がかかる。コミュニティを新しい状況に対応しうるように変える動因となりうるのは、アソシエーション的組織である。地域社会の高齢化への対応、地球環境問題への対応、地域活性化や町づくりへの取り組みなどは、アソシエーション的組織のコミュニティに対する働きかけによって自覚され、ゆるやかな変化をもたらすというのが、ことの成り行きである。その点では、民主主義の推進者のひとつはアソシエーションだといえる。それは、自由な個人の、自律した組織であり、問題を明確化する組織だからである。

わが国の場合、幕末期、このようなアソシエーションは、先に見たような結社などのかたちで広汎に存在したのだとも言える。それは幕末期あるいは維新期にあって、しぶとく活動し、世間を変える基盤のひとつになりえたのではないか。しかし明治30年代、学校教育の集権化と地主制の確立によって、社会的に大量に形成される可能性をほぼ摘み取られ、矮小化された。第二次大戦後は、性急な集権的な政治主義が市民の自発性を抑制したためにごく限られたかたちで息をしていた。そしてようやくこの20年ほど、アソシエーション的な市民組織が私たちの生活世界に浸透しつつあるというのが現状に近いのではなかろうか。

分権改革後、新しい条件のもとで、改めて日本的アソシエーションを地域と、そして地域をこえて創ること、それによって自発性と自律性に基礎を置いたコミュニティの作りかえに力をつくすことが、わが国の民主主義を創造するためのまっとうな筋道とも思える。(注25)。

なお、アソシエーションには、地域に事務所はあるが、そのミッションと活動領域は全国的ないし国際的なものも多い。地域に拘束されないのもアソシエーションの特質である。

このようなアソシエーションが地域の課題に取り組むことができれば、地域社会を活性化するひとつの要因ともなりうる。

 

新たな地域社会をつくる

われわれは、このような思考実験をも視野に入れながら、具体的にこれからの地域社会を構想することが求められている。これまでに触れた点以外に、ここで提出しておきたいのは、第一には、求められる地域社会とは、コミュニティとアソシエーションを統合することによって見えてくるのではないか、ということである。地域福祉計画策定や介護保険事業策定委員会、まちづくり協議会などで、これらふたつの組織を並存させて、相互の、および行政との、トライアングル関係を鮮明にし、その間の合意形成に力を注ぐことが求められる。このことを通じて新しい「ゲノッセンシャフトリッヒ」な地域自治組織を構想したい。

なお、このことを湯浅赳夫は次のように言っている。「20世紀は大変な時代だった。ひとつには社会主義の名の下に東洋的専制主義が大陸国家に古色蒼然たる共同体を強引に設定した。これにあおられて近代社会の中の共同性の契機が独走し、国家に一切の責任を負わせる福祉国家を実現する。しかし、コミュニティの諸契機がばらばらにされた社会では、なにをやってももの足りないだけで、それも結局破綻する。しかも、社会主義の崩壊の反動で自己責任、市場原理の台風がグローバリズムの名で暴走し、コミュニティへの期待が一気にふくらみ、エコ・マネー、コミュニティ・ビジネスといったそれを目指す様々な活動が芽生えてくる。それは自発性、共同知・共同性の地域社会における再統合の試みだが、かつての共同体の復権ではない。市民社会の中で人間性を実現しようとする人間的コミュニティの形成なのである。」(注26)

第二には、このふたつが常に、共同の課題について「討議する」場を保証することであり、「討議民主主義」」(注27)を、その場において持続的に展開することである。このような営みのひとつとして兵庫県宝塚市でコミュティ政策が再起動したのは1993年だが、団地自治会とNPOを混合した「まちづくり協議会」として、ひとつの形になったのは1998年ごろからだという。(注28)

第三には、その前提としてアソシエーションとしてのNPO(法人格をもたなくても)を、積極的につくり、同時にその支援策をより洗練して定着させることである。洗練とは、NPOなどの自発性や自律性をより自由に展開させるような、という意味である。

なお、この『市民の政治学』では、ポール・ハーストを援用して、「彼によれば、上からの福祉国家をつくろうとする国家社会主義とこれに対抗する市場主義はいずれもユートピアであり、福祉国家は官僚主義をはびこらせ、市場主義は社会制度を破壊する。つまり彼は行過ぎた集団主義も行過ぎた個人主義も否定し、それに代わるものとして新しい時代の結社革命(アソシエーシエイテブ・レヴォリューション)を主張する」としている。「社会的機能はできるだけ国家の手から結社に移されるべきであり、このことによって、貧しい人々の市民社会をつくるための行動主義と協同行動を提供することができる」という(同書58頁)。

第四には、企業文化を変えていく活動が重要な意味をもっている。そのために「社会的責任投資」や、地方自治体の公契約において「総合評価一般競争入札制度」を普遍化していくことが求められる。

「社会的責任投資」(Socially Responsible Investment)とは、「社会的責任」を果たそうとする企業の経営に投資すること、その企業の株を買うことである。この企業の「社会的責任」(Corporate Social Responsibility)とは、「経営活動のプロセスに社会的公正性や環境への配慮を組み込み、ステイクホルダーへのアカウンタビリティ(説明責任)を果たしていくことである。企業の社会貢献活動やコンプライアンス(法令遵守)は、CSRの一部を構成しているにすぎない。」(注29)

この中に地域社会への貢献度がきちんとカウントされなければならい。特に低賃金と低価格を武器にしたウオルマート的なコミュニティ破壊型の企業の進出とコミュニティの再構築が背反することを明確にしておく必要がある。

また「総合評価一般競争入札」とは、地方自治法に定める公契約(法第234条)の一般競争入札において、効率性など価格条件だけではなく、契約の目的、性質等を考慮して入札条件を設定することができる旨定めた、施行令第167102を活用するもの。入札への応募者に、労働基準法や最低賃金法の遵守、法定障害者雇用率の達成度、男女雇用均等法を守り、次世代育成促進法に定める推進計画の策定内容、環境基準としてのISO14000などの取得者であること、地域経済への貢献の方法が提案できているか、地域社会へのボランタリー協力の放送、などを示し、それへの協力を求めるものだ。

これらは「持続可能な社会」をつくるために不可欠だが、同時に、コミュニティの中に企業を埋め戻していくことをも目指す。

第五には、その経済的基礎として、豊富なコミュニティ・ファンドの形成が必要である。世田谷区の公益信託事業である「世田谷まちづくりファンド」は1992年に設置されたものだ。区からの出悁金に市民と企業からの寄付金と合わせて、まちづくり事業などに資金援助をしている。また都市銀行などが先のCSRの一環として「地域貢献ファンド」つくるよう働きかけることも必要だ。山口県の西京銀行では全国市民バンク(片岡勝代表)と提携して、「しあわせ市民バンク」を設置し、コミュニティ・ビジネスの起業家に無担保で融資している。(注30))

第六に、その中で、大きな意識改革を求められているのが、公務員である。最近はよくお願いしていることがある。それは「一職員、一NPO」ということだ。一人の職員は少なくともひとつのNPOに参加することが望ましい。そのことで,NPOの内部生活を経験し、そこから見える行政を変えるパッションと変えるべき課題を受け取る。実際には、NPOで働く公務員は多い。おそらく1割から2割ぐらいの職員が地域で活動している。それらの経験を、職場で活かす仕組みを工夫したいと思う。(注31)

(なお本稿は、『現代の理論』復刊2号、明石書店、20051月掲載の「地域の再生は可能か」に大幅に加筆、改稿したものです。)

 

注1、『現代の理論』明石書店、第1号、0410月、2122頁。

注2、朝日新聞、0673日朝刊。

注3、IFSW(International Federation of Social Workers)の2000年の定義である。白鷺病院ホームページから。

注4、さいたまNPOセンター『まちがだんだんみえてきた』20032月、参照。

注5、細内信孝『地域を元気にするコミュニティ・ビジネス』ぎょうせい、20013月、15頁。

注6、『月刊自治研』19992月号参照。

注7、『現代の理論』明石書房、第1号所収、大澤真知子「経済のグローバル化と新たな市民社会への動き」参照。

注8、中沢孝夫『変わる商店街』岩波新書、2001年では、山形県高畠町の「中央通り協同組合」と「高畠町中央通り花と緑の会」の活動を紹介している。「花のまちづくり」「昭和ミニ資料館」「クラシックカー・レビュー」などの取り組みで「楽しいまち」づくりを進める。

注9、中沢孝夫『変わる商店街』岩波新書、2001年、7071頁。

注10、田村明『まちづくりと景観』岩波新書、2005年、119頁。

注11、木谷文弘『由布院の小さな奇跡』新潮新書、2004年、176頁。なお、中谷健太郎『由布院に吹く風――ある盆地の物語』岩波書店、2006年参照)。

注12、多辺田正弘『コモンズの経済学』学陽書房、1990年など参照。

注13、守田志郎『二宮尊徳』農山漁村文化協会、2003年参照。

注14、「特集 地域住民の「安心」を支えるまちづくり 春日モデル」『月刊総合ケア』医歯薬出版株式会社、19996月号参照。

注15、玉野井芳郎著作集第4巻『等身大の生活世界』、学陽書房、1990年、7172頁。

注16、玉野井同前書、73頁。

注17、A・トックビル『アメリカの民主政治(上)』講談社学術文庫、井伊玄太郎訳、127頁。

注18、横田清『アメリカにおける自治・分権・参加の発展』地方自治総合研究所、1998年参照。

注19、レスター・サラモン『米国の「非営利セクター」入門』ダイヤモンド社、1994年参照。

注20、ピーター・F・ドラッカー『ネクスト・ソサエティー』ダイヤモンド社、2002年、271273頁。

注21、中川祐二『英国式自然の楽しみ方』求龍堂、1996年参照。

注22、鳥越皓之「時代の要請としての新しいコミュニティの形成を目指して」1977年、から再引用。

注23、柄谷行人編著『可能なるコミュニズム』太田出版、1999年参照。

注24、田辺聖子『姥盛り旅の花笠』集英社、2001年、現在は集英社文庫、参照。

注25、以上は澤井勝「歌の結社とアソシエーション」自治日報』200187日号、に加筆。

注26、湯浅赳夫『コミュニティと文明』新評論、2000年、8頁。

注27、篠原一『市民の政治学――討議デモクラシーとは何か』岩波新書、2004年参照。

注28、:田中義岳『市民自治のコミュニティをつくろう――宝塚市・市民の10年の取り組みと未来』ぎょうせい、2003年参照。

注29、谷本寛治『SRI 社会的責任投資入門』日本経済新聞社、2003年、まえがき。

注30、大橋光博『小さく、ゆっくりでいい』ビジネス社、2003年参照。

注31、澤井勝「一職員、一NPO」『自治総研』20063月号を参照されたい。