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分権改革から「市民自治法」へ
    民主党の「地域主権の確立」を吟味する


                                 澤井 勝 (奈良女子大学名誉教授)
                                 明石書店『現代の理論』09年秋号。

 1,地域主権の確立の中身は何か  2、「地域主権}=小さな政府と行政改革、道州制へ 
3、「地域主権」=市民主権の文脈で 4、行政が施策化している「地域主権」 5、地域主権という言説の意外な浸透の意味 6、「地域主権とは市民自治の拡大」を明確に 7、地方自治法を「市民自治法」の改正する 8、市民自治の法的基盤の形成  
1、マニフェスト「地域主権確立」はなにを言っているのか

 民主党マニフェストの第4章に言う「地域主権の確立」あるいは「地域主権国家への転換」は、「地域のことは地域が決める」ことができる状態や制度をつくることであるようだ。

 (1)そのために、中央政府の役割は「外交・安全保障などに」特化し、「地方でできることは地方に移譲する。」新たに設立する「行財政刷新会議」で全ての事務事業を整理し、補完性の原理に基づき基礎的自治体に対してそれが対応可能な事務事業の権限と財源を大幅に移譲する、としている。

(2)そして、最初のマニフェスト案にはなかった「国と地方の協議の場を法律に基づいて設置する」ことを掲げる。この「国と地方の協議の場」は全国知事会などの総選挙直前の要求行動を取り入れたものである。 

 (3)また、財源的には、国のひもつき補助金(社会保障・義務教育関係は除く)は廃止し、地方の自主財源に転換する、としている。基本的に地方が自由に使える「一括交付金」として交付する仕組みを提案している。これによって補助金申請や審査に係わる経費と人件費を削減する。縦割り官僚による箇所付けは行わない。 

 (4)国の出先機関は原則廃止する。道路・河川・ダム等の全ての国直轄事業における負担制度を廃止し、地方の1兆円の負担をなくす。それに伴う地方交付税の減額は行わない。この国直轄事業廃止に伴う地方負担減に伴う交付税減額はマニフェストの原案にあったものだが、地方6団体などの意見から削減をやめたものだと思われる。

 以上が民主党09年マニフェストの「地域主権の確立」方策である。すなわち、(1)が国と地方の役割分担の新たな線引きで、基礎自治体への権限と財源移譲を目指す。(2)は、法律による国と地方の協議会の設置、(3)は「ひもつき国庫補助金」の原則廃止と「一括交付金」への転換である。(4)は国の出先機関の原則廃止と、国直轄事業負担金の廃止、である。

これらの施策は(2)の国と地方の協議会を除けば、いずれも今年度中できる話ではない。少なくも2-3年はかかりそうな大改革であるが、是非成功させたい。その中でも、まずすべきことは、その前提として、「国と地方の協議会」を今年中(10-11月中)にでも発足させることである。この「国と地方の協議の場」で、国と地方の役割分担や国庫補助負担金の一括交付金化の方向での合意を形成する必要が絶対にあるからである。

また、この章の各論の34に、(5)「市民が公益を担う社会を実現する」として、認定NPO法人を支援するために制度を見直し、寄付税制を拡充するとともに認定手続きの簡素化、審査期間の短縮、それに国際NGOとの連携強化を掲げている。これは後にも触れるが、「地域主権の確立」を団体自治の確立という視点から、「市民自治の確立」にウェイトを置いた戦略的視点を前面に出すときに、不可欠な政策的な方向である。       

2、「地域主権」について(1) 小さな政府と行政改革、道州制への文脈で

 この地域主権という言葉は、従来の政治的や行政学の研究からは出てこない、新しい政治用語である。したがって、「ちいきしゅけん」とワードに入力しても変換できない。単語登録をしなければならないのだ。また、厳密な「主権概念」を吟味して使われているわけではなさそうだ。むしろ、「地方自治の確立」や「市民参加」という言葉では表現できない「変革のイメージ」をあらわそうとして造語されたものと想定される。この用語がいつごろから使われるようになったかは明確ではないが、恐らくJC(日本青年会議所)の運動として「地域主権確立」が取り入れられたのが始まりかも知れない。たとえば、1997年度のJC近畿地区協議会の「地域主権推進委員会」の報告(同協議会ホームページから)は次のように述べる(下線は引用者)。

当委員会では小さなデモクラシー運動から続く青年会議所運動の流れを地域主権へと焦点を絞って考えることにより、メンバーの意識改革と地域創生に積極的に参加し遂行してゆけるメンバーを育成し社会に貢献することを第一義に考え、活動をしてまいりました。 21世紀を目前に控える今、日本の行政システムや財政状態は危機的な状況にあります。 このような問題の解決は現行システムの一端を変更するだけでは何ら達成できるものではありません。 時代はもっと大きな変革を必要としているのです。 当委員会ではそのような行政システムや行政区域の弊害、住民主体のまちづくりの必要性、合併・広域行政の必要性を調査・研究し、「地域主権」の重要性が実感として理解できるよう委員会活動を展開してまいりました。 私たちは多様化する人々のニーズ、そして地域のアイデンティティを調査・分析し、その地域の住民による参加・共創型の新しいシステムを作り上げていかなければなりません。まちづくりの主役は地域の住民なのです

このように、このJC近畿協議会の報告は、地域に密着した「小さなデモクラシー」の実現を通して「住民による全く新しい参加システムの創造」を推進する考え方として「地域主権」を理解していることが確認できる。ただし、市町村合併については推進するニュアンスがあるとも言える。つまり、単なる「地方分権」や「地方自治」という言葉では表現しにくい「新しいシステムの創造」を、「地域主権」という言葉に込めているとも読めるのである。

他方で、経済界は「行政改革」の方向で「地域主権」をまとめる傾向がある。たとえば経済同友会系では比較的早くこの「地域主権」の確立が言われてきたようで、特に関西経済連合会の長年の主張である「地域主権に向けた道州制」という議論は、行政改革と「小さな政府実現」という文脈で主張されてきたといえる。たとえば全国経済同友会の行財政改革推進会議行政改革部会(200511月)は次のように言う。

我々は地域主権型システムを実現させるために道州制を導入し、補完性の原理を基礎とした「市町村―道州―国」という新しい三層システムを構築することが必要だと考える。そのために小さな中央政府を目指し、地域主権型の地域政府を確立させるための具体策として、以下4つの提言を行う。

地域主権型システム実現のための4つの提言

1.道州制の導入で小さな政府の実現を

2.都道府県から市区町村への権限移譲

3.九州モデルの推進 〜地域経済の自立

4.道州制導入準備法の創設

今回の民主党のマニフェストは、道州制については言及を避けている。このことは賢明な判断である。方向としては、基礎的自治体を強化し、下から道州制の気運が盛り上がれば、それは歓迎すると言う基本的なスタンスのようだが、これは適切である。自民党や経団連が進めようとした「道州制の導入論」は、自民党の政権からの転落で基本的には頓挫したが、上にも見たように、「上から目線」の「小さな政府実現論」であり、「自治の観点なき行政改革論」であった。国民にとっては恐らく関係のない議論だった。

 また、今回のマニフェストでは小沢前代表の300の基礎自治体論は事実上撤回され、さらに今年の4月の段階でのマニフェスト案にあった、700800程度の市町村にまで市町村合併を進める、という主張も、今回のマニフェストからは削除されている。いずれも政権党としては妥当な修正である。

特に市町村合併の促進策は、地方制度調査会(首相の諮問機関)から打ち止めが提案され一応政治的には決着が付いている。第29地方制度調査会(会長は中村邦夫パナソニック会長)は09616日、合併促進終了を麻生総理大臣に答申した。答申は「合併は相当程度進捗した」と評価し、一方で、今後は市町村の自主的合併を側面から支援する体制に切り替えるよう求めている。99年の市町村数3232は、来年の20103月末(合併特例法期限)見込みで1760団体になる。平均人口は36387人から67772人に。人口1万人未満の町村は1537から471になる。市町村職員数は1545932人から1338623人に21万人減少。地方議員は61884人が38822人に23千人減った(このことが地方での自民党衰退に拍車を掛けたと思われる)。しかし、過疎地など周辺への住民サービスが行き届かなくなるとの批判は根強い。いずれにしても、地域にはこれ以上市町村数を半減するようなエネルギーば残っていない。

3,「地域主権」について(その2) 市民主権の文脈で

 このような経済界からの「小さい政府」実現のための「地域主権=道州制導入論」に対して、自治の徹底の方向で「地域主権=市民主権」として追求しようとする地域主権論の流れがある。先に見たJC近畿協議会の報告もその色彩が強い。

ここでは、20042月に「市民主権・地域主権フォーラム」を大阪市、大阪府、経済産業省近畿経済局の後援で行ったNPO法人市民活動情報センターのシンポジウムにおける、今瀬政志の主張を紹介しておきたい(下線部は引用者)。

いま、必要とされているのは、市民参加から「市民主権」へ、地方分権から「地域主権」への発想の転換ではないか。個々の市民(個人、NPO、企業等)や個別地域の自律性・主体性を重んじる市民活動が活発化し、NPOセクターの発展も目覚しいものとなってきている。だが、市民あるいは地域は、自らの「主権」を十分に確立できているとは言えず、行政あるいは国が握る権利を「分権」という形で分け与えられている状況からは脱し切れていない。委託者や公募者としての行政が権限を握り、市民に権限の一部を分け与える「市民参加」というものにとどまっている。

(略)また、その分権論議は、自治体と国という行政体間の権限・財源の綱引きに終始し、市民・住民の権利や活動の視点はあまり見られない。社会活動・経済活動とそれを支える政策形成の出発点は、行政ではなく市民ひとり一人であり、国ではなく地域一つ一つである。市民(個人・NPO・企業等)と行政、あるいは地域(市民・自治体等)と国が、協働して、次代を切り開く政策形成を図り、個々の市民や個別地域という小さな単位(多様な個)からの「市民主権」「地域主権」が確立された社会・経済の仕組みを創ることが求められている。

今瀬が言う「市民主権」は、主権概念から言えば「人民主権」に近い。一人一人の人民

に主権があり、それを代表制議会や直接民主制(住民投票など)を通じて行使するわけである。その「人民主権」が行政や官僚制によって制約され、利用され、押しつぶされているという今瀬尾の認識は、強く共感するところがある。

4,行政が施策化している「地域主権」

 以上は、運動体や財界団体、政党の主張にある「地域主権」であるが、今回調査したところ、行政施策として「地域主権」を位置づけ、それを推進するとしている自治体がかなりあることがわかった。

 これまでのところ、管見によれば、「地域主権課」を大阪府、神奈川県が置き、「地域主権局」を北海道が置いている。また20091月に策定され、2008年から2011年までの4年間を計画期間とする京都市の基本計画にあたる「京都まちづくりプラン」は、その第7章を「地域主権の時代にふさわしい地方自治の確立」としている。

@ 神奈川県

神奈川県では20043月に2006年度末までの「地域主権実現のための中期方針」を定め、次のように述べている(下線は引用者)

1 「地域主権」とは

自らの地域のことは自らの意思で決定し、その財源・権限と責任も自らが持つ

ことが、これからの地方自治のあり方です。

○ こうした考え方は、これまで「地方分権」という言葉で総称されてきましたが、

地方分権というと目線が中央にあり、中央から地方に権限や財源が分け与えられ

ていく印象で受け取られかねないことから、「地域主権」と表現することとしま

す。

神奈川県ではこれに引き続き、2006年に2007年度から2010年度までの「地域主権実現のための基本方針」を定めている。その中で具体的な「取り組み施策」として国からの権限移譲や関与等の廃止・縮減、国の政策立案等に関する県の参画の推進など12項目を掲げている。この「取り組み施策」を見るところ、県民の参加や参画など住民自治・市民自治の側面は弱く、団体自治の強化の側面が強く出ていると言えそうだ。

A 北海道

 北海道には「地域主権局」がある。この局は200612月に成立し071月に施行された「道州制特区推進法」により、道州制特区を推進する受け皿として設けられた。道州制特区推進本部で北海道知事が直接総理や閣僚と同じテーブルで協議し、権限移譲を決めるという仕組みができた。また北海道は北海道道州制特別区域推進条例(平成19年北海道条例第44号)を制定している。この結果、北海道に8つ(わずか8つ!)の権限を移譲し、道州制特区としての体裁を取り繕っているのが現状とも言える。

B大阪府

 大阪府は094月に「地域主権課」を設置している。これに先だって20093月に「大阪発“地方分権改革ビジョン――地域主権に根ざした輝く未来のために」を発表している。ここのところ橋下徹知事の発言が目立つが、知事のリーダーシップが強いのは確かで、「私たちは霞ヶ関の解体と地域主権の確立が不可欠と考えます」という知事の言葉が府のホームページに踊る。その「地域主権」も内容は、「権限と財源の移譲を進め、地域における自らのお金(税)の使い方を住民の知恵と工夫、参加のもとで自ら判断し、決定する。その結果を引き受ける」ということにつきる。これを「住民一人一人が主役」「自分たちが主権者」という言葉で補足する。また「住民の近いところに力を集める――ニア・イズ・ベター」を掲げ、「地域コミュニティの充実強化やNPOとの協働など、地域における「自助・共助」をベースに、まずは、市町村が身近な行政サービスを総合的に担う。そして市町村ができないことを大阪府(関西州)が、大阪府(関西州)ができないことを国が担う(補完性の原理)」とする。

B京都市

 京都市では20091月、この4年間(20082011年度)での「政策推進」と「行財政改革」の取組を一体とした「京都未来まちづくりプラン」を策定したとしている。その中で、「地域主権時代にふさわしい地方自治の確立――新しい「国のかたち」を実現するために」をその第7章に設けている。これは主として大都市への税財源移譲と権限移譲を中心とした分権改革の文脈での問題提起となっている。

 

5,地域主権という言説の意外な浸透の意味

このように見てくると、1990年代半ばから、地方制度調査会や地方分権改革推進員会などでの地方分権改革や地方自治の確立という政府レベルでの論議とは別に、それと逆説的に連接しながら、種々の運動体や政治運動のレベルでは「地域主権」という言説が広く浸透してきていることが確認できる。「逆説的に連接」とは、中央政府レベルでの「地方分権改革」の「推進」に批判的な視点から、自治体の自立や市民の自立を考える立場からの「地域主権」という言葉の選択があったと思われるからである。そこには、いくら中央政府レベルでの改革が提案されても、決して決定的な改革は行われず、中央官僚制の割拠的な支配はゆるがない。自治体や市民が真の主人公になることはない、という認識がある。

ただし見てきたように、そこには二つの潮流がある。一つは経団連や同友会、関経連、自民党基本構想のように、小さな中央政府(合わせて地方政府も小さく)を求めて、行政改革を推進し、効率的な道州制へという方向性である。

もう一つは、補完性の原理を基礎に、自助や共助を基盤とし、NPOとの協働を進める中で基礎的自治体を強化する、という方向で、もっと徹底すれば「市民主権」を基礎とする新しい自治のあり方を展望する。そして国の権限を一部に限定しながら、都道府県の権限も市町村に移譲し、新たな広域自治体(場合によっては道州制)を考える、という方向である。

主権はもともとは「国民主権」である。15世紀頃のヨーロッパで絶対主義君主の封建領主や教会権力に対抗する君主主権論として現れた。この君主の主権に対抗して17世紀から18世紀に出てき主権論がロックやルソーなどの「社会契約説」に基づく国民主権論あるいは人民主権論である。もともとは国民国家の統治権を合理化する概念で、国民という集合体に主権があり、個々の国民は選挙の代表制や直接民主主義という仕組みを通じてその主権を行使する、という理解が現在の憲法学の通説的な理解と思われる。ただし主権の所在を個人にあるということをより強調する「人民主権論」と、集合体としての国民にのみあると考える「国民主権論」とが対立的にあるとされてきた。

さらに、20世紀になると、国家の力が強大になり(行政国家へ)官僚制が巨大化するとともに、もともとは個人の自由を守り、権利を保障するものとして信託したはずの国家が、個人に優越してその権利を侵害するような状況が現れた。ユルゲン・ハーバーマスの「公共性の構造転換」は社会学の領域からこの状況を批判し、「生活世界の植民地化」と指摘したとも言える。政治学の領域からは、ハロルド・ラスキなどが多元的国家論を主張し、国家を他の社会組織と並ぶ相対的組織とする現在の主権論の一つの基盤となっている。

 現代の「地域主権論」は、この「国民主権論」を「自治体主権」と「市民主権」に「なぞらえた比喩的な表現である、といえる。ここでも、「団体自治」と「住民自治」という二つの原理(この二つの原理を保障するのが日本国憲法に言う「地方自治の本旨」の内容と理解されている)の間で揺れ動いている。しかし、この比喩はそこはかとなく説得力がある。  

それは、地方自治の現実があまりにも非自治的だからである。国(各省の官僚)が自治体職員の一挙手一投足を拘束する。良い例が、介護保険における散歩サービスである。これは介護保険の訪問ケアサービスの対象とならない、とどこかで厚労省の担当者がもらしたことがあったらしく、奈良県でもそのように県からの指導がおこなわれたようなのである。これは厚労省が国会答弁でそのような指示はしていない、と釈明して散歩サービスはOKとなった、などである。このようなありもしない指示に従う自治体も自治体だ。しかし、これに従わせる権力の元はこの場合は、介護報酬を厚労省が一方的に決めることができる権力を握っているからである。これを変えなければと言う思いが「地域主権論」と共鳴するのだろう。 

 

6、「地域主権は市民自治を拡大することだ」、と言う視点の明確化が必要 

さて新しい中央政府のまずやるべきことは、国と地方の協議の場を設定することだが、二つめは、先にも触れたが、「地域主権確立」のための分権改革に向けた体制をとることだ。中心は、国と地方の役割分担を事務の振り分けから行うための仕組みを設定しなければならない。「行財政刷新会議」がその場になるようだが、理論武装も含めて大変な作業になることが予想される。また、「ひもつき補助金」を「一般交付金化」することも平行してすすめなければならない。それには「地方分権改革推進委員会」(委員長丹羽宇一郎丸紅会長、西尾勝委員長代理)の答申の精査とそれを超える改革プランを政治主導で実行することだ。

それらと並んで実行するべきことは、「地域主権の確立」こそが「市民が主体となる地方政治」を確立するものだという観点をより鮮明にすることである。特に、来年の参議院選挙に向けたマニフェストのブラッシュアップの柱にすることによって「地域主権」が市民にとってどういうメリットがあるかをもっとはっきりさせたい。

「分権改革」という言葉は、率直に言って市民のハートを捉えているとは言えない。国と地方が内輪もめしている、と言う感覚で、自分には関係ないことだとばかり関心が薄い。だから政治的用語として「地域主権」という言葉が選択されてきたのだろう。また自民党と経団連などが推進してきた道州制論は、市民不在のまま、上から目線で安上がりの「国のかたち」を構想するもので、市民の議論の対象にもなっていない。「地域主権」が、基礎自治体を重視し、究極的には市民の選択によって「地域のことは地域が決める」ものだとすれば、「分権を通じた市民自治の確立」によって「地域のことは市民が決める」という言葉こそ市民のハートにひびく言葉なのだ。

今次の地方分権改革推進委員会のヒアリングで074月に西尾勝元分権委委員が指摘しているように、第一期は「団体自治の確立に主眼が置かれたために、住民にはわかりにくい改革となった」ことも事実である。つまり、住民にとっては縁が遠い改革となっている。住民自身が自らの問題として、分権改革を捉えるようになるためには、この改革によって住民がどのような権利と自治活動の自由を確保できるかが明瞭になる必要がある。本来の主権者である住民を蚊帳の外においては自治体に「自己決定、自己責任」を求めることも実のあるものとならないはずである。第4回の分権改革推進委員会で小早川光郎委員も分権の理念として第一に「住民自治に向けての制度改善」を挙げているとおりである。

 

7、地方自治法を{市民自治法}に改正する

そして中期的には、明治211888)年以来の「地方行政法」の色彩の強い現行の地方自治法を、地域主権=市民自治の観点から「市民自治法」に抜本的に改正すべきである。

たとえば、「地域主権」=「市民自治」の観点から、もっとも大きな地方自治法上の壁は、「住民」の規定そのものにある。

現行の地方自治法はその10条の第2項で、「住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う」と定めている。この規定は明治211888)年の「市制町村制」における「凡市住民タル者ハ此ノ法律ニ従ヒ公共ノ営造物並ビニ市有財産ヲ共用スルノ権利ヲ有シ及ビ市ノ負担ヲ分任スルノ義務ヲ有スルモノトス」以来の規定で、実に120年近い寿命を誇る。寿命が長いことが批判されるべきこととは必ずしも言えない。しかし、本条については次のような指摘がある。「本条の問題点の基本は、その後の若干の改正を経たにもかかわらず、本来能動的積極的な地方公共団体の主人公たる地位にあるべき住民が、自治権の主体たる地位を否定され、市町村という公法人もしくはその第一の構成要素たる土地に従属する「第二ノ構成要素」、行政客体と位置づけられたことにある。」(佐藤竺編著『逐条研究地方自治法第1巻』地方自治総合研究所、243頁)。

国民に主権がなかった明治憲法下では、「自治権ノ主体ハ国家内ノ公法人ナリ」(美濃部達吉『改正府県制郡制釈義』明治32年、25頁)であり、自治権の主体としての住民は否定されていた。国民主権の日本国憲法の下にあっても、市制町村制の住民についての規定はそのまま残され、権利の主体としての住民は自治法の条文上は無視され続けてきた。

ただ、日本国憲法の主権在民原理から、解釈上はその主体性を確保しようとする後述の判決や運用の努力が積み重ねられてきた。

また、その権利は旧市制町村制では、「公共ノ営造物並ビニ市有財産ヲ共用スルノ権利ヲ有スル」にとどまったし、現行自治法もそのままである。しかし、この「権利」は新憲法下においてもいわゆる「反射的利益」であって、本来の権利ではないと解されている。そのため住民は多くの場合、行政訴訟によって権利を争う「原告適格はない」とされ、多くの住民訴訟で「訴えの利益なし」として「門前払い」を受けてきたのである。ただ1960年代から広く原告適格を求める判例も続く。たとえば、村民に村道利用権に基づいて第三者に対して妨害排除を請求する権利を認めた最高裁判決(昭39.1.16)や、公立中学校の廃止処分の是非が争われた事件で、住民たる保護者が取り消しないし無効確認訴訟を訴求する原告適格を認めた盛岡地裁判決(昭37.7.9)がある。つい最近では、20065月に横浜市の保育所の民営化をめぐる横浜地裁判決が、広く保護者に原告適格を認めるとともに、利用者である子供にも原告適格を認めている。ただし、控訴審である東京高裁(渡辺等裁判長)は2009129日、民営化するための条例の制定について、訴訟の対象となる処分に該当しないと指摘。市が保育をやめるのは不利益処分に当たるとした一審判断を覆し、訴えは不適法として却下している。つまり、原告適格を再び否定し、歴史に逆行する判決となった。壁は厚い。

地方自治法改正については、具体的には、住民の選挙権(11条)や直接請求権(1213条)の内容を市民自治の観点から強化する改正を行うと共に、これらも含めて第10条において、旧第2項は削除した上で、住民が自治体を組織する権利、運営に参加する権利、評価に参加する権利、情報公開を請求する権利および公共的サービスを担う権利など、各法律や事実上で認められてきた「市民の権利」を積極的に規定するべきである。

ところで、地方分権改革推進委員会の第一次勧告(0912月)では、地方自治関連の法制度の改革として次のように述べられている。

 

当委員会としては、こうした自発的な自治体改革の試みをさらに一段と加速させ広く波及させていくために、地方自治体における行政委員会の必置規制の緩和、「開かれた議会、討論する議会、衆知を集める議会、行動する議会」に向けた地方議会制度改革、地方自治体の財務会計における透明性の向上と自己責任の拡大、小規模自治体における機関(行政委員会、監査委員等)の共同設置や広域連携の促進など、制度に関する選択の余地を拡大する方向で、地方自治関係法制の見直しを求めていく。

 

 これらのうち、既に総務省のほうで法改正作業が進んでいる「小規模自治体における機関の協働設置」などもあるが、基本的には、自治法の体系を市民自治=地域主権の観点から根本的に作り変えるものではなく、行政体制の部分的整備(必要ではあるが)の域を出るものではない。

 

8,自治基本条例の取り込みと市民自治の法的基盤の形成

さらに一案としては、各地で広がっている「自治基本条例」や「市民と行政との協働推進条例」などの規定を自治法に盛り込んでいくこべきである。また自治基本条例自体の法的根拠を自治法に定めることも検討すべきである。ただし、基本条例を定めることは任意規定とし、細部まで自治法で縛ることはさけたい。特に参政権の拡充や住民投票権などは、条例で定める余地も確保したほうがよい。たとえば「住民は法律または条令に定めるところにより地域自治組織の代表を選挙する」などとすれば、上越市の地域自治組織委員の準公選制を法的にバックアップすることにもなる。

「自治基本条例」、「まちづくり基本条例」、「市民参加と市民協働の推進に関する条例」、「議会基本条例」など、自治体のまちづくりを総合化し、市民の権利を積極的に位置づける「自治体の憲法」ともいうべき条例がつくられてきた。最初は大阪府箕面市の「まちづくり理念条例」(19974月施行)で、次いで兵庫県の「まちづくり基本条例」、そして北海道ニセキコ町の「まちづくり基本条例」(20014月施行、2005年改正)が続く。

2009624日現在で185団体(6月末に議会で制定した奈良県生駒市を入れれば186団体で2道県、3政令市、180市町村)でこれらの「基本条例」が制定されている(北海道稚内市政策経営室まとめ)。全国的には2009331日現在の市区町村数177747都道府県、合わせて1824自治体のうち10.2%が制定していることになる。最近の制定に係る奈良県生駒市の「自治基本条例」はその目的を次のように定めている。なお、生駒市の本条例の策定の議論には公募委員や議員委員とともに筆者も4年間にわたって参加した。

 

第1 条 この条例は、生駒市における自治の基本理念と主権者である市民の権利を明らかにするとともに、市民及び市の果たすべき役割や市政運営の仕組みを定めることにより、地方自治の本旨に基づく自治を実現し、自立した地域社会を創造することを目的とする。

 

以下、3 条 最高規範 、第4 条 情報共有及び公開 5、第5 条 参画と協働の原則

6 条 人権の尊重 第7 条 まちづくり参画の権利 、第8条 20歳未満の市民のまちづくりに参画する権利 、住民投票に関する規定などが続く。

 これら市民自治の仕組みと運動の先端部分を「市民自治法」の中に組み込む必要がある、(なお神原勝北大教授の『自治・議会基本条例論』公人の友社、20083月参照)。

 

おわりに

 いずれにしても民主党のマニフェスト「地域主権の確立」は政権党の公約となった。自民党政権では手がつかなかった、国と地方の役割分担の見直し、「ひもつき国庫補助金」の原則廃止と「一般交付金」の創設、国の出先機関の廃止など、大きな改革をやりとげないとならない。霞ヶ関の官僚システムの執拗な抵抗を排除して、また、利害関係のある経済界や業界団体の抵抗を克服して。しかし、官僚システムの発想を変え、その情報力も活用しながら、世論形成を的確に進めることで、マニフェストを着実かつ迅速に実現することを期待する。

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