コラム NO3

 歌の結社とアソシエーション
                     初出:『自治日報』2001年8月7日号

 『姥盛り花の旅笠』は田辺聖子さんの最近の作品だ。時は天保12年(1841年)。現在の北九州中間市で盛業を営んでいた商家の50過ぎの妻女である小田宅子と芦屋町の桑原久子が、仲間の女性たち2人と大阪、奈良、伊勢神宮、善光寺、日光からお江戸まで旅した短歌の紀行文を再構成したもの。5ヶ月、3200キロにわたる大旅行である。

 この『姥盛り』で驚くことはいくつもある。ひとつは、江戸時代の女性たちが、大きな経済的なそして社会的な実力とそれを使う自由をもっていて、女たちだけの歌詠みツアーを企画実行していることである。

 そして、特に注目したいのはこのような旅行を可能にした社会的基盤として、歌詠みのグループがあったという点である。ここの場合は、宅子の師である歌人にして、国学者かつ神官でもある伊藤常足先生の周りに多くの門人がいて、そのネットワークが、このような旅を可能にしているわけである。まず、気のあった友人たち、すなわち「同好の人」という人の輪が形成されている。それがこの歌人「結社」の意味である。

 このような「結社」が、幕藩体制のもとにあって、各藩に相当数形成されていたにちがいない。これが、幕末期に国学(歌とともに)の地方伝播の基盤ともなり、「諸士横議」の場ともなったと十分に想像できる。それは同時に藩学校や寺子屋などの、教育機関のありようとも関連していたように思われる。

 この「結社」は、アメリカの社会学者マッキーバー流に言えばアソシエーションに他ならない(1917年)。アソシエーション(協会)とは、同じ目的を実現するために、自ら規約を作り、個人が自由に取り結ぶ組織である。各種のサークルや同人、結社、あるいはキリスト教の宗派(ゼクテ)などや、NPOなどはここにいうアソシエーションである。このアソシエーションを構成するのは、少数の確信をもった、あるいはひとつのことに特に関心を持った人々という意味で、「エリート」である。いわば対自的である。

 これとならんで、たとえばその地域に居住し生活するという属性によって、それに属するものとして位置づけられ、一定の感性的な一体性を共有し、同時に形式的には自由な意思によって結ばれている組織はコミュニティ(地域コミュニティ)となずけられる。家族や企業、大学、国、さらにヨーロッパ連合などもコミュニティであり、ユダヤ人コミュニティや若者コミュニティなどもある。コミュニティを構成する人々は、あらゆるタイプの居住者を包含するから、必然的に「大衆的」である。そして即自的である。

 コミュニティは、生活世界を包む包括的な共同社会の円滑な維持という性格上、一定の方向性をもって自らを新しい状況に対応させるには時間がかかる。コミュニティを新しい状況に対応しうるように変える動因となりうるのは、アソシエーション的組織である。地域社会の高齢化への対応、地球環境問題への対応、地域活性化や町づくりへの取り組みなどは、アソシエーション的組織のコミュニティに対する働きかけによって自覚され、ゆるやかな変化をもたらすというのが、ことの成り行きである。その点では、民主主義の形成者のひとつはアソシエーションだといえる。それは、自由な個人の、自律した組織であり、問題を明確化する組織だからである。

 わが国の場合、幕末期、このようなアソシエーションは、先に見たような結社などのかたちで広汎に存在したのだとも言える。それは幕末期あるいは維新期にあって、しぶとく活動し、世間を変える基盤のひとつになりえたのではないか。しかし明治30年代、学校教育の集権化と地主制の確立によって、社会的に大量に形成される可能性をほぼ摘み取られ、矮小化された。第二次大戦後は、性急な集権的な政治主義が市民の自発性を抑制したためにごく限られたかたちで息をしていた。そしてようやくこの20年ほど、アソシエーション的な市民組織が私たちの生活世界に浸透しつつあるというのが現状に近い。

 分権改革後、新しい条件のもとで、改めて日本的アソシエーションを地域と、そして地域をこえて創ること、それによって自発性と自律性に基礎を置いたコミュニティの作りかえに力をつくすことが、わが国の民主主義を創造するためのまっとうな筋道とも思える。


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