ワークシェアリング (初出:『自治日報』02年2月15日号)
失業率は02年に入っても上昇を続け、6%台もありうる展開となっている。この大失業時代は日本経済の構造転換が進むにしても、進まないにしても、かなり長期にわたるものと見る必要がある。そういった状況に政策的に対応するものとして、急速に浮上してきたのが「ワークシェアリング論」である。
労働組合の連合や経営側の日経連は99年から00年にかけて、それぞれの考え方を示している。自治体レベルでは政労使の三者合意に基づく兵庫県の民間企業に対するワークシェアリング・ガイドラインの設定(00年5月)および県庁の超勤の抑制による財源を非常勤雇用に充てる施策の実施がもっとも進んでいるようだ。
この超勤手当ての削減分を、臨時職員の採用原資として活用する方式は、青森県や秋田県、京都府などでも導入の動きがある。高卒者や若者に絞ってであるが。このような動きは、具体的に雇用を作るという意味では重要な一歩である。
とはいえ、うっかりすると臨職差別や低賃金労働、不安定雇用の新しい温床になりかねないのも事実だ。ワークシェアリングという「労働の多様化」を、本当の生活の豊かさを実現するための安定した雇用の拡大、世帯の所得の増加、そして経済の活性化と生産性の向上に結びつけるためには、合理的な政策パッケージを長期にわたって実現していくことが不可欠なのである。
仕事と労働時間のわかち合いによって所得の水平的再分配をはかろうとするこの政策は、1980年代のヨーロッパ諸国において、10%を超える失業を克服することを期待して導入され、いろいろな試みが行われてきた。フランスのように98年5月の法律で週35時間制を導入する方式がそのひとつの例であるし、93年に導入されたフォルクスワーゲン社の原則週4日制(週休三日制)などである。
その中で、特に大きな成功を収めたと評価されているのが、「オランダ方式」、あるいは「オランダモデル」と呼ばれる、パートタイム雇用の拡大政策である。
1982年の政府、労働団体、経営者の合意(ワッセナー合意)により、パート労働者の雇用促進を中心とする施策が採用された。重要なことは、労働組合側に、労働者の中にあるパート労働を積極的に選択したいという意識に応えられる仕組みを創ろうと言う戦略があった点である(詳しくは長坂寿久『オランダモデル』日本経済新聞社)。この政労使の三者合意は10年ごとに見直しをされ、最近は02年の1月に三回目の合意が行われている。
このため、まず労働時間差別を廃止してきた。つまり労働者の働く条件(賃金単価、社会保障負担、手当て、休日など)を、同じ労働であれば均等にするための企業の自主的努力を先行させ、それを受けて96年には、労働時間差別を禁止する法的措置が設けられた。
こうしてフルタイム労働者とパートタイム労働者の間の差別が撤廃されることによって、オランダのパートタイム労働者は急増した。97年のパートタイム労働者の比率は、EU(欧州連合)が16%、アメリカが18%、日本が19%となっているの対して、オランダは38%と、世界で最も高い国となった。一方で失業率は2%台に低下している。
現在ではオランダの人々は三つの働き方を選択できる。ひとつ目は、週休二日で週35から38時間の労働、ふたつ目が週休3日で週30から32時間労働、三つ目が週半分の20時間労働である。働く人々にとっては、自分の状況に応じて、まさに多様な労働を選択することが可能になっている。
この結果、企業は雇用の柔軟性の確保そして生産性と収益性の向上、労働組合はその組織率と社会的信頼の回復、政府は構造的失業の解消と経済成長の達成という「オランダの奇跡」(ダッチ・ミラクル)が実現したとされている。
そして人々の生活においては、自分の時間を自分で管理することによって自己実現の可能性が広がった。このことが社会の活性化をもたらし、出生率も上昇してきている。
わが国の場合、退職金制度や103万円の壁など税制、年金の第三号被保険者問題など課題は多い。しかし、まずパート労働の差別廃止を手がかかりに、多様な働き方が可能な社会の実現に向けて、国と自治体の双方のレベルでの努力が求められている。
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